「昔からそこにいたような」が絵のタイトルです。
今日のタイトルは、「足りないものと余るもの」です。
楽しめているか。これが足りないもの。
不満を持っている。これが余るもの。
不満は、満たされないと書く。
けっして余るものではなさそうだ。
やりたくないと思う心に支配されて、身動きが取れない。
何で俺が、俺ばかりがとなる。
こうなると、何をやっても面白くない。
ただただ疲れるだけです。
楽しめているときは、俺にも仕事を回せよ。
と苦労を買って出る。
まずは、成功体験なんか捨ててしまえ。
それが、楽しめない、身動きができない鎖なのに気づかない。
今日があるから、明日があるなんて思わない。
今日は今日、明日は明日と割り切る方がよい。
そうは言っても、抜け出せない環境にはまった時にどうするか。
パワハラ、セクハラにモラハラです。
これは論外です。
ふざけるなと戦うか、さっさとその場を去ることを勧めます。
意思表示すれば、必ず助けになる人や組織があります。
心の有様の話です。
あまりにも頂が高く見えたなら、目の前の一歩だけに集中しよう。
一歩が出れば、二歩目も出るかもしれない。
一歩昇れば、景色が変ります。
困難さが一つ片付いているでしょう。
不満が身体を支配するときは、この一歩に疑問を持ってしまう。
疑問を持った眼には、変化が見えない。
今いる安全な場所でまごまごするばかりです。
楽しむ心はすぐに枯渇します。
より楽しいことがあるんじゃないかと思い始めるからです。
腹八分に留め置き、ほおばることをやめ少しずつ噛み締めることです。
案外美味しいじゃないと、気付くことです。
気づきは自信となって、身体が動くようになります。
いつでも身ぎれいにし、借金(不満の種)をしないことです。
無理の素になります。
ぶらぶら、ぶらぶら身体を揺すれば、血が通い頭も切り替えられるはずです。
そしてまた一つ挑戦しようかな。
挑戦と楽しむ心は、親戚のようなもの。
今日は、今日。
明日は、また挑戦の日です。
若くいられる秘訣かもしれませんね。
風つよか なんもなかっぱい 枯れすすき
2017年11月17日