故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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夫唱婦随というタイトルの絵です。
阿吽の呼吸とでも言いましょうか。
お互い持ちつ持たれつの関係が夫婦です。
身近な人の幸福を優先するゆえんです。
我が家に、10人のお客さんが来られます。
国際交流授業と、収穫祭への出店、出演で、
横浜及び東京から参加してくださいます。
今日のテーマは、「片付け」です。
私のやり方は、スペースを作る所から始まります。
必然的に捨てるものと捨てぬものに分類することになります。
1年以上使わぬものは捨てるのが主義です。
仕事では、1年以上使わぬものは、処分できました。
履歴として残しておかなければならないものは、倉庫に入れました。
または、マイクロフィルムやCADデータにしました。
スペースを省略するためです。
いずれにしても、どこに何があるか、目録(インデックス)は必要です。
次は、想像力と使い安さです。
田舎で暮らした経験が少ないため、
何がいつ必要になるのか判断がつかないことがあります。
二人きりの生活では、大きな鍋は必要がない。
カフェに多くの客が来る時は、大きな鍋があると便利です。
野菜の収穫適期は、短い。
旬のうちに調理し、保存(漬物、下処理後冷凍など)します。
そんな時も大きな鍋は、必要です。
必要な物が貯蔵でき、いつでも取り出せるようにするために
納屋(倉庫などのスペース)と取り出しやすさの工夫が必要です。
最期に快適さです。
片付けるからには、前より快適にしたいと考えます。
布団は干してふかふかにします。
誰もが使えるスペースを作り、通路(アプローチ)を確保します。
スペースさえあれば、多目的に使えます。
一時的な荷物置き場、座って談笑するなどの目的に使えます。
妻が、台所の不要物を捨てました。
多目的に使えるテーブルの上を空っぽにしました。
デッドスペースを活かすために、電気配線をします。
台所の動線を殺している電気製品をデッドスペースに移動するためです。
家の中の電気容量を最大限に使うために、
電気容量バランスを分配する電気配線をします。
今回は緊急配線のため、ドラムコードで対応します。
妻の想いをかなえてあげたい。
あと一週間になりました。
忙しいなか、スケジュールを組みます。
ぎりぎりの挑戦です。
頑張ってみます。
来る友が 来てよかったと また来たい
2017年10月26日
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山梨、小菅で見たそば畑です。
もうすぐ、新そばまつりです。
今日のテーマは「台風一過」です。
秋雨が、台風に代わり長い間雨が降り続けました。
台風が過ぎると、畑に出て枯れたエゴマの根を抜き、
家の前のゴーヤを外しました。
あれよあれよと、木の葉は色づき始めています。
長雨で洗濯物が乾かないから出したストーブで、今や暖をとっています。
田んぼが、水瓶の役割をしなかったら、河川は決壊していたことでしょう。
徘徊老人が、田んぼで発見されたと聞きました。
すでに亡くなっていたとも。
季節の移り変わりにやっと対応できているこの頃です。
都会では、季節の変化は緩やかでした。
自分の生活にも、影響は少なかった。
この地では、大忙しとなります。
所謂、冬支度です。
夏野菜を採り入れ、冬野菜を植える。
服の入れ替えも、すぐにやらなくてはなりません。
落ち葉の片づけも日課です。
台風一過のカラッとした空気とは違います。
今朝は霧が一面です。
さあ、元気を出して思いつく仕事を片付けましょう。
ふとんなか 寒くてじっと 寄って来る
2017年10月25日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/53/9e83e000c9ca67f8b10a79740c6bd35c.jpg)
私よ。というタイトルの絵です。
そう言われても、どれだけの過去を辿ればよいのか、
恥ずかしくなることがあります。
だから、謎かけはやめてね。
今日のタイトルは、「死んだ人と話す」です。
墓が骨壺を置けない位いっぱいになった。
骨を壺から出して、広げた。それでも足りなくなって、
墓地に撒いた。正しい作法なのか知らない。
夢の中のことです。
お袋や親父と話せそうでした。
会うことは出来ないけど、話せそうでした。
たぶん話せる。
自分の中に、死んだ人が住んでいます。
記憶として残っている。
たぶん、こういうだろうな。
自分が過去(記憶)を辿るのか、死んだ人が今に甦るのか。
判然としません。すべて脳の中で起こっていることです。
小説を書いていると、
登場人物は、作者の自分ではなくなります。
主人公は、たぶんこうするだろうな。
作者とは、異なる人格です。
主人公は、架空の人物です。
その人が、生きているかのように読み取れます。
優れた作品でのことです。
脳に刻まれ、身体にしみ込んできます。
あの人のように生きたい。
長い間、会ってない人は、生きていても(死んだとは聞いてない)
過去の人です。墓に入っている親父たちと同じです。
正確にいうと、過去に会ったことがある記憶の中の人です。
電話をすれば話せるし、約束すれば会えるでしょう。
姿は変わっているでしょう。
記憶の中の人は、若いままです。
同窓会に出ると、シーラーカンスに会うような気持ちです。
あれだったのが、あんた。ですか。
化け物が出た。
お互い様。
今の彼とも話せるし、何十年も前の彼女とも話せる。
自由気ままです。
あの時、あんたはこう言った。
そうだったね。そして、お前と別れた。
長く生きてることの楽しみの一つです。
おじさんやおばさんの病気自慢の話を聞くのが辛かった。
今は、普通に話しているし、共感が持てるようになったということ。
ただ、生きている人と話せるほうがよい。
それからどうした。と相手から聞くことができる。
自分だけが、「それからがある」会話は面白くない。
聞きたくないこともあるだろう。
それなりに新しい発見もあるはずです。
たまに、あの時より可愛くなっている人に会うことがあります。
その後、良い人生を送ったんだなと思います。
本当は、見た目の印象だけで、素顔を知らなかっただけかもしれない。
ジャムづくり 弱火ことこと 知恵がつき
2017年10月24日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b5/f824d2035d74b76165ad3e2f092a4a5c.jpg)
あんさん、なんや。
とぼっくりが言っています。
とんがらず、仲ようしような。
今日のテーマは、「友情」です。
高校生の頃読んだ、夏目漱石のこころ。
同じ女性を好きになり、友人Kが自殺する。
Kの遺書には、恨み言は何もないが、主人公は生涯背負うことになる。
友人Kのこころを知りながら、女性を妻にする。
こころとは、主人公の嫉妬心や葛藤を描いたものであろう。
高校生の私には、衝撃であった。
私にとっては、友情より愛情を描く方が楽なような気がする。
小出しにして、パロディーにできるからである。
生涯の1/3は、学業や仕事をしている。
その間に知り合った人たちに、友情を感じるのが自然である。
友情は損得抜きというけれど、きっかけは好感である。
こいつも同じなんだ。
違いを見ようとしたら、友情は産まれないかもしれない。
こだわる所は違うけど、心根が同じなんである。
こだわりに気づいてあげる。
一番大切にしていることなんじゃないかな。
案外、本人も知らないこともあるだろう。
お互いにそれを大事にする。
ソーシャルインテリジェンス(SI、社会的知能)とでもいうか、
優しさであり、戦略でもある。
つまり生きる知恵とでもいうような。
わかりやすく言うと、
こいつも、この人も私と同じで馬鹿なんだ。
度が過ぎなければ、誰にもあることです。
長い間音信不通の友人がいます。
どうしているんだろうと、時々思います。
今日はここまでとします。
恋敵 負けてならじに 敵おらん
2017年10月23日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/16/e2b9d67ea6ed9871f079648d4d3ec69b.jpg)
よろしくね。というタイトルの絵です。
恋は、いつでも初舞台です。
今日のテーマは、「続けること(Part6)」です。
過去、何度も悩み苦しんでいることです。
今回は、少し違うようです。
続けなければならないと考えるから辛くなるようです。
少し夜更かしをして、朝早く起きれない日が続きました。
日中、時間を作って書こうと先延ばしにしました。
日中は、やることがありました。結果、書けなかった。
早起き鳥と同じ時間に起きだします。
彼らの鳴き声に意味があるなら知りたいと思います。
少なくとも、鳥の種類を鳴き声で判ればと願います。
自然における季節の変化を読み取りたいからです。
実は、この時間は私にとって至福の時間です。
知識欲を満たし、考えていることを整理する貴重な時間です。
「続けること」ができるのは、喜びです。
今日もできたという具合です。
私のブログ読者の方も同じです。今日も読めた。
「続けること」を楽しみたいと思うようになりました。
突然機能不全に陥り、書ける環境ではなくなるかもしれません。
交通事故にあう確率より、はるかに高い確率です。
しかも年々それは高くなっていくのです。
どうしても、「続けること」が出来ない方に目が向き、残念だと考えます。
かつてはできたが、できなくなった。
考えが少し変わりました。
私達は、毎日進化しています。
出来ないことを知るようになる。
出来ない代わりに、何を考え、どうしようとするのか。
コンペンセイション(補う)することを始めます。
耳が聞こえなくなると、読唇術を始める。
右手が使えなくなると、左手を使い始めます。
両手が使えなくなると、両足を使い始めるでしょう。
これも進化です。
身体は退化するけど、意識や考え方はどこまでも進化し続けます。
そして、人が許せるようになるのでしょう。
「続けること」は、続かないことのバロメーター(指針)かもしれない。
「続けること」で、続けられないことを知ることになる。
それでよい。
老鶏も 鼻水垂らし 初舞台
2017年10月22日
過去、同じ「続けること」をテーマに書いています。
続けよう、続けたいともがいています。
続けられたら、ラッキーかなです。
2015年4月6日投稿記事「続けること」が最初です。
重くても続けることの代表選手が仕事です。と書いています。
2016年5月29日投稿記事「続けること(Part2)」では、
毎日の足音がこやし。と書いています。
2016年8月22日投稿記事「続けること(Part3」では。
一人の満足のために続ける。と書いています。
2017年8月6日投稿記事「続けること(Part4)」では、
やりたいことがあったら、全てのことを同時にとりかかる。と書いています。
2017年9月12日投稿記事「続けること(Part5)」では、
続けることは、そんなに大変ではない。
少しずつしかやれないから、日々やるだけです。と書いています。