A.himeのフォト日記

日常の思ったこと、感じたことを自由に気ままに・・・
写真・旅・ワンちゃん・園芸・お花・趣味・日常…etc

娘の策略?

2008-07-16 | 家族
少し前のことになりますが、
神戸に住む娘から「買い物に付き合って~」との電話がありました。
「初めての出産で、どんなものを揃えたらいいのか分からないので、一緒に買い物に行って欲しい」とのSOSです。

めったにないことなので、喜んで、高速プッ飛ばして神戸まで行きました。頼られたとあれば、行かざるを得んでしょう。

でも、3人も産みましたけど・・・それは遠い昔のことであって、今とは全然時代も違うし(殆んどが布おむつの時代でした)、それに私が出産の時は、主人の母がやってくれたので・・・^^;

すぐにネットで情報を仕入れ、地元のお店でパンフレットをもらって下見をし、母親らしいところを見せようとしっかり準備をして・・・

娘と一緒に神戸でお買物。ベビーショップで、あれも、これも、じゃんじゃんカゴに入れて・・・新しく家族になるチビちゃんのことを想いながら、お買い物を楽しんだのですが・・・

・・・支払いは私のカードで・・・。

ん?これって親バカ?婆バカ?
まんまと、はまってしまった?

でも、買い物は楽しいですね。
もう少しお財布に余裕があれば、
もっと楽しいでしょうね~。




訪問ありがとうございます。

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おばあちゃん・・・

2008-07-05 | 家族
もうすぐ初孫が生まれる予定です。娘に。

8月21日が予定日ですが、もう男の子だと分かっているんですね~。
医学の進歩はすごいです。
毎月の検診時にお腹の中にいる赤ちゃんの写真を撮ってくれるそうです。だから、今時の赤ちゃんのアルバムは、生まれる前からのお母さんのお腹の中にいる時の写真から始まるんですね。何だか不思議・・・
それでもまれに、男の子だと言っていても、女の子が生まれてくる場合があるそうです。^^;

それで、赤ちゃん用品の準備は、とりあえず、どちらでもいいような色合いで揃えました。

8月には、名実ともにおばあちゃんになる訳で・・・
孫が生まれるのは嬉しいけれど、
「おばあちゃん」て呼ばれるのにはまだ抵抗が・・・^^;

な~んて、いくらあがいても仕方がないか。
現実は現実として受け入れざるを得ません。

友人たちの中にはもう何人も孫がいる人もいて、
嬉しそうに孫の話をしてくれます。
私もその仲間入りですね。
嬉しいやら、気恥ずかしいやら・・・

ここは開き直って、
孫の写真、撮りまくるぞ~~ ^o^/

娘は嫌がっていますけど。



どんな可愛いベビーが生まれてくるのでしょうか?


(写真はアカチャンホンポのセレモニードレス)
訪問ありがとうございます。
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母の日には・・・

2008-05-12 | 家族
毎年母の日が近づくと、今年は何をしようかと悩みの種でした。

洋服にしたり、傘、バッグ、花束、扇子、寄せ植えのお花、ハンカチ、お菓子・・・など、母の好きそうなものをあれこれ考えて・・・高価なものは出来ないけれど。

実家の母のはすぐに決まるのですが、姑さんのは好みが難しくて、悩んだりもしましたが・・・母の日にはきっちりと二人の母に何がしかのプレゼントを届けるようにしていました。

きっと、友人たちとの話題の中で、「嫁さんにこんなのもらった」とか「娘がくれたんよ」などの会話もでてくるだろうから・・・寂しい想いをしないように、会話の中に入れるように・・・なんてことも思ったりして。

そんな母の日も今はもう懐かしい思い出に・・・





今度は私がカーネーションをもらう立場になってしまいました。


訪問ありがとうございます。




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母の日

2008-05-12 | 家族
昨日のことですが・・・

息子がカーネーションの花をくれました。
照れくさそうに「母さん、これ」って。
嫁さんが後ろで「ちゃんと言わないと」と背中をツンツン…
「一応母の日だから」だって。

息子が花をくれたのは初めてです。
いつも外へ食べに連れて行ってくれるのですが、
言葉で言われたことはありません。

この日も外で夕食しました。
もちろん、息子のおごりで…嫁さんが支払っていましたけど…

もう一度「ちゃんと言って!」と嫁さんにうながされて、
「母さん、母の日おめでとう!」だって。
ん??違うだろう~

結局照れくさくて「ありがとう~」って言えなかったようです。

「いいよ、気持ちはいつも伝わっているから・・・」






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あれから13年・・・

2008-01-20 | 家族
13年前の今日(17日)、忘れることの出来ない大きな出来事がありました。

阪神淡路大震災。6434人の尊い命が犠牲になりました。
姫路地方は震度4と発表され、大きな被害はありませんでしたが、それは、私が生まれて初めて経験する大きな揺れでした。

1995年1月17日、午前5時46分
ちょうど目が覚めたところで、そろそろ起きようと思っていた時でした。今まで経験したことのない大きな揺れがしばらく(かなり長く感じられた)続きました。咄嗟に飛び起きて横にいたワンちゃんを抱きかかえ、子供部屋に入って叫びました。「机の下に入って!」と。揺れが治まって点検すると特に大きな被害はなく、本棚の本が落ちたのと棚がはずれて上の物が落ちたぐらいですみました。同じく姫路に住む主人の実家と私の実家に電話をして安全を確認し、ホッとしたのでしたが・・・

それが、こんなに大きな災害になっているとは、その時思いもしませんでした。その後テレビで刻々と知らされる情報はだんだん被害が明るみになってきて、映し出されるその映像に目を覆いたくなる大きな惨事になりました。

当時神戸の高校に通っていた次女は電車が動かなくなってその日は休んだのですが、もし、電車に乗った後での発生だったらどうなっていたのだろうかと考えるだけでもゾッとします。タッチの差で命拾いをしました。しかし、学校は倒壊し、2ヶ月程の休校の後、2年生から卒業するまで、仮校舎での授業となったのです。

長女は職場が神戸だったので、やはり倒壊で職を失いました。恐ろしいことに当日須磨の友人宅(会社の寮)に泊まっていたのです。たまたま友人宅は丈夫な鉄筋だったので、倒壊は免れましたが、家の中はメチャクチャで、ガラスが散乱し大変だったと言います。また、周りの家の多くは倒壊して悲惨な状況だったそうで、もし友人宅が木造の寮だったらと思うと今でも背筋が凍ります。

地震の直後は何も分からず、「電車が動くようになったらすぐに帰えるから」なんてのんきなことを言っていたのですが、夕方になって「迎えに来て」とSOSの電話。看護婦である友人は職場に呼び出され、暗闇の中、1人残されるのが心細くなったのでしょう。停電・断水してるし、電車は止まったままだし・・・

すぐに車で迎えに向かったのですが、それはとっても大変なことでした。高速道路は使えないので国道2号線を東へと向かったのですが、自衛隊の車や他府県からの救援車が続々と神戸へ向かっています。それに私たちのような一般車も加わり大渋滞の中でののろのろ行軍は異様な光景でした。

塩屋を過ぎたあたりから2号線は緊急車両(消防・救急・警察・自衛隊・救援)専用になり、一般車は北へ迂回させられました。そして全く動かなくなってしまったのです。仕方がないのでUターンして少し戻り、空き地に車を乗り捨ててそこから歩くことにしました。

娘には2号線の海岸側の歩道を西へ歩くように指示し、私たちは同じように東へ東へと・・・暗闇の中、行き違わないように注意しながら・・・

亀裂の走った道路、ひっきりなしに鳴っている消防車やパトカーのサイレンの音、暗闇の中、はるか東の方向にはあちこち火災がおきているらしく、空が赤く染まっていました。きな臭い匂いも漂っています。東から西へ黙々と歩いてくる人たち(難民?)に何人も出会い、本当に異様な光景でした。

私は戦後世代で戦争は知りませんが、その時代にタイムスリップしたような、夢の中にいるような、不安な気持ちがいっぱいで、それでいて必死でした。下の娘がついて来てくれたのが救いでしたが・・・(主人と息子は家で連絡係を)

須磨を過ぎた所でやっと娘と会い、やっとの思いで連れて帰ったのですが、家に着いたのはもう日が高くなっていました。往復17時間ぐらいかかったでしょうか。神戸から歩いて西に向かっている人は明石のあたりまで見ました。凄いですね。また塩屋駅へトイレを借りに寄ったのですが、断水で使用できないと断られとっても困りました。

幸いなことに家族や親戚に不幸はありませんでしたが、娘たちは学校や職場を失い、友人の中には家族を亡くしたり、家をなくした人もあります。もう二度と起って欲しくない、恐ろしい出来事でした。

何ヶ月か後、電車が復旧してから神戸へ行きました。娘の通っていた学校は本当に跡形もなくなり、瓦礫の後片付けをしていました。周辺は空き地が目立ち、壊れてそのままになった家も多くあり、被害の大きさを目の当たりにして胸が痛みました。街中には倒壊したビルもたくさんあり、急ピッチで後片付けと復旧工事がおこなわれていて、工事車両や建設機械があふれていました。通りにはゴミの山があちこち散乱し、電車の中も異様な匂いがします。ライフラインがまだ完全に復旧していなくて、入浴・洗濯もままならないのでしょう。着のみ着のままで大きなリュックを背負った人たちが憔悴しきった様子で行き交っていました。もうそこにはオシャレな神戸の面影はまったくなく、この街はいったいどうなるのだろうか?と悲しくなったのを覚えています。

あれから13年・・・神戸は見事に蘇りました。壊れたビルや家は新しく建替えられ、通りはきちんと整備されて、前よりきれいな街になりました。しかし肉親や友人を亡くした心の悲しみは癒えることはありません・・・

亡くなられた6434人の御霊のご冥福をお祈りいたします。<合掌>


訪問ありがとうございます。
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ドジ君・・・

2007-12-09 | 家族
この春めでたくゴールインした息子、共に仕事が忙しく新婚旅行はおあずけになっていました。頑張って二人のスケジュールを調整し、12月になってやっと10日間の休みがとれたようです。新婚旅行はアメリカへ(なぜアメリカなのか?ちょっと変わった選択ですが・・・)

喜びもつかの間、休みが決まったのがギリギリでチケットが取れず、10日間のアメリカ旅行は水の泡に・・・それでもめげない二人です。とりあえず何処かへ行こうと言うことであちこち探してグアム5日間で手を打つことにしたそうです。

余った5日の中で家族みんなのスケジュールを調整し、カニでも食べに行こうと言うことになり、私はグアムのおみやげとみやげ話とこの家族でのカニカニを楽しみにしていました

娘はこの笑い話のようなドジなお兄ちゃんにあきれていましたが・・・

「気をつけて行ってらっしゃい」と携帯にメールを入れ、「今頃は飛行機かな~、それとももう着いたかな~?」などと思っていると、電話のベルが・・・ディスプレイを見ると息子の携帯番号。「すごいな~、携帯電話って、グアムからでも簡単に電話が通じるんだ」と思って出ると、受話器からは元気のない息子の声。

「どうしたん? 今どこ? グアムからなの?」
「ううん、家・・・」
「何で? 今日出発やったのと違うん?」
「そやったけど・・・用意していたら・・・ぎっくり腰で・・・動かれへん・・・」

いつも大事な時に何かが起る息子なのでした。結局苦心して取った10日間の休暇をどこへも行かずに二人で家で過ごすことになってしまったなんて・・・
そんなドジ君にいつもつき合わされている彼女(嫁さん)、笑って許してくれたでしょうね。きっと・・・


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同年代です・・・

2007-10-08 | 家族
昨日は私の退職の「お疲れさま会」でした。
招待してくれたのは、息子夫婦と娘夫婦。
いいですね。家族が増えるって。

なぜだか、野球の話で盛り上がりました。

息子は巨人ファン、嫁さんは阪神ファン、
巨人優勝の号外をめぐってのエピソードは大笑いです。

婿殿は熱心な巨人ファン、娘も何となく巨人ファンでこちらはチャンネル争いはなさそうです。

実は私も隠れ巨人ファン。と言うのも、前の職場は熱心な阪神ファンが多く、神戸や広島で試合があると、休暇を取って応援ツアーを出すほどです。事務所の上司も一緒になってトラキチです。間違っても巨人ファンなんて・・・言えませんでした。

また、娘は高校の時、イチローが大活躍していた頃、オリックスの優勝パレードに参加したことがあります。パレードの先頭をマーチング演奏し、選手たちを先導する役目でした。残念ながらイチロー本人には会えなかったそうですが・・・

そして、嫁さんと娘婿はかなりの野球通で、話が合うようです。

息子と嫁さんと婿殿は同級生で娘は2歳下。息子と婿殿とは誕生月も同じで、息子の方がちょっとだけ早いのです。「年上の弟でなくてよかった~」とは息子の弁。ちょっぴり兄貴ぶって偉そうにしています。年が近いのでみんな話が合うんですね。こうして、息子夫婦と娘夫婦、お互いに仲良くしているのを見ていると、うれしくなります。この幸せがいつまでも続きますように。



可愛い花かごをいただきました。サンキュー!


訪問ありがとうございます。



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息子の旅立ち

2007-07-01 | 家族
しばらくサボっていました~、今日からまた、頑張りたいと思います。

さて、先日の息子の結婚式ですが、神戸北野のハンター迎賓館で挙式しました。神戸の街と港が見下ろせる高台の上にある、異人館を借り切っての披露宴になりました。派手さはありませんが、今はやりのハウスウエディングのような、アットホームな思い出に残るいい挙式だと思うのですが・・・(親バカですね^^;)

この日は梅雨の合間の晴れた日で、ラッキーでした。式は迎賓館の隣にある北野天満宮で、純和式で行いました。あの有名な風見鶏の館のすぐそばにある階段を登ったところです。多くの参列者と観光客の見守るなか、太鼓と雅楽の演奏で式ははじまりました。雅楽は生演奏です。

花嫁・花婿・両親・親族の数人は壇上で祝詞(のりと)をうけ、そのほかの人たちはそのまわりで見守るのですが、花婿の母である私が、カメラを持って走り回る訳にはいかず、側にいた息子の友人らしき人にカメラを預けました。頑張って撮ってくれた写真を少し紹介します。

シャイで、普段はカメラを向けると怒る息子も、この日ばかりは神妙にカメラに笑顔をふりまいていました。式が終わって迎賓館に戻る途中で外人の観光客に頼まれ、笑顔で写真を撮られていました。











花嫁さんは、白無垢に綿帽子、とってもきれいでした。普段は活発な彼女もこの日ばかりはしおらしく・・・なんて言ったら叱られるかな? 付き合いが長いので、彼女のご両親にも可愛がられ、共通の友人も多いようです。

そして、迎賓館に戻って披露宴です。
親族の少ない我家ですが、勤め先の社長、上司、同僚、以前勤めていた会社の同僚、高校時代の同級生、大学時代の学友、アイスホッケー部の後輩たち・・・この日ばかりは、たくさんの人たちに可愛がられ、親しまれ、慕われている息子をちょっぴり誇らしく思いました。2次会では80名もの仲間が集まってくれたそうで、またまたびっくり。お金はないけれど、たくさんの財産を持って幸せ者です。


訪問ありがとうございます。

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結婚式・・・

2007-06-22 | 家族
明日は息子の結婚式です。

神戸北野の異人館、ハンター迎賓館で式を挙げます。

私が結婚するわけではないけれど・・・
準備もすべて自分たちでしてくれたので・・・
私は身体ひとつで参列するだけなのに・・・

2,3日前から何だか落着きません~

息子に電話で「式、何時からだっけ?」と聞くと、
「う~ん、忘れた! 案内状渡してなかった~ ○○子(妹)に聞いて!」だって。

今頃こんな会話をしているなんて
のんきな母子ですね~。
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母の日・・・

2007-05-14 | 家族
昨日は母の日でした。
数年前までは、実家の母には何を贈ろうか、姑さんには何がいいか、などと頭を悩ませていましたが、今はもう贈る母もなく、母の日が近くなると母を思い出し、寂しくなります。

反対に今は自分がもらう立場に・・・

昨日、母の日も仕事でした。事務所にこもっていると、母の日だということも、すっかり忘れてしまいます。

家に帰えるとメッセージのない留守電が4つも入っていました。発信元は全て息子の携帯の番号です。何事かと思いメールをしてみると、すぐに電話がかかってきました。『今から行く』と。覚えていたんだ~^^

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