11月24日、智頭の旅のつづきです!
板井原集落へは智頭宿から約4キロ、車で10分程度で行けるとあり、簡単に行けると思っていましたが、なんのなんの…車一台がやっとというような細い山道をくねくねと曲がりながら登っていきます。対向車が来ないかとヒヤヒヤしながら走りました。暗~いトンネルをくぐると、かなりりっぱな駐車場とトイレがありました。車は一台も止まっていませんでしたが…
板井原集落へはここから歩いて行きます。
板井原集落(いたいばら)は鳥取県八頭郡智頭町にある山村集落。江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた村で、当時の建物が数多くあり、日本の山村集落の原風景を残す村として伝統的建造物群保存地区に指定されています。集落内の110棟余の建物の内、23棟は江戸時代から昭和初期にかけて建てられたもので、それ以外も昭和40年以前のものが多く、昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落として知られています。
<11月24日撮影>
菊家紋を伝える向山神社から
藤原家住宅
母屋は明治32年の建築で、茅葺で入母屋造り。3つの蔵と養蚕場を備えている。智頭町指定文化財。時間がなくて内部見学しませんでした。集落には築50年を超える古民家が数多く残っていて、中には築270年という古民家もあるとか。
喫茶「野土香(のどか)」
約100年前の古民家(養蚕農家)を復元利用した喫茶店。
実は、この喫茶店が一番の目的? 紅葉と天気と二人の予定と定休日(ここが肝心)を照らし合わせてこの日にしたのでした。なのでまずは一番にここへ。お腹も減っていたしね。事前に知らないと見過ごしそうな佇まいのお店でした。
玄関の格子戸を開けて「こんにちは~ごめんください~」応答がありません。上り框の戸をおそるおそる開けると、そこがお店でした。普通の家のように靴を脱いで上がります。廊下だったところでしょうか、川の流れが見える窓際のカウンターに席をとり、サンドイッチセットをいただきました。とても美味しかったです。
集落内にはもう一つ、やはり古民家を利用したお食事処「火間土(かまど)」があります。かまどで炊いたご飯と伝統的な日本の農村の食事が食べられるようですが、日曜のみの営業だそうで…この2つのお店は集落の観光マップにも紹介されています。
養蚕農家特有の越屋根の民家。
明治・大正時代は養蚕が盛んだったそうで、このような民家が数件残っています。
川で野菜を洗ってるおばさん。
現在の集落は東西に23軒(江戸後期は30軒)、板井原川の左岸に並び、六尺道と言われる幅員1間(1.8m)の道路が古くからの生活道でした。過疎化と高齢化がすすみ、空き家が目立ちます。おばさんの話だと現在生活しているのは数件のみとか。なお現在まで、自動車が集落内に入ったことは無いそうです。
昭和42年に古峠を抜けるトンネルができるまではこの地に車が入ることはなく、徒歩で行き来する「六尺道」だけが村に通じる唯一の道でした。今も集落内には自動車は入れませんが、川の右岸の山に続く林道が整備され、今は集落の川向うの神社のあたりまでは車が入れるようになっています。
集落の民家。大根や薬草を干している家も。
板井原大根は成長しても小さい大根で、昭和35年頃まで山焼きをした土地で栽培されていました。その大根を漬けたものを「板井原ごうこ」と言うんだそうです。その後栽培されなくなり「幻の大根」となっていましたが、村の伝統的野菜を復活させようということになり、40年ぶりに栽培されるようになったそうです。
村境にある六地蔵
集落へ入る道、六尺道
トンネルができるまではこの地に車が入ることはなく、徒歩で行き来する「六尺道」だけが村に通じる唯一の道でした。山に囲まれた小さな集落で、他の土地からの往来も少なく、ひっそりと暮らすこの集落には「平家落人の隠れ里」伝説もあるそうです。
他にも
昭和初期に分校として建てられた「板井原公民館」、江戸時代のものと言われる弘法大師像が安置されている「大日堂」、板井原川の流れを利用した米つきの水車小屋、炭焼き小屋等々、まるで昭和30年代の山村にタイムスリップしたような…
観光地としてあまり手を入れてないのがいいですね。
素朴で郷愁をさそう、とてもいい村でした。
訪問ありがとうございます。
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板井原集落へは智頭宿から約4キロ、車で10分程度で行けるとあり、簡単に行けると思っていましたが、なんのなんの…車一台がやっとというような細い山道をくねくねと曲がりながら登っていきます。対向車が来ないかとヒヤヒヤしながら走りました。暗~いトンネルをくぐると、かなりりっぱな駐車場とトイレがありました。車は一台も止まっていませんでしたが…
板井原集落へはここから歩いて行きます。
板井原集落(いたいばら)は鳥取県八頭郡智頭町にある山村集落。江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた村で、当時の建物が数多くあり、日本の山村集落の原風景を残す村として伝統的建造物群保存地区に指定されています。集落内の110棟余の建物の内、23棟は江戸時代から昭和初期にかけて建てられたもので、それ以外も昭和40年以前のものが多く、昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落として知られています。
<11月24日撮影>
菊家紋を伝える向山神社から
藤原家住宅
母屋は明治32年の建築で、茅葺で入母屋造り。3つの蔵と養蚕場を備えている。智頭町指定文化財。時間がなくて内部見学しませんでした。集落には築50年を超える古民家が数多く残っていて、中には築270年という古民家もあるとか。
喫茶「野土香(のどか)」
約100年前の古民家(養蚕農家)を復元利用した喫茶店。
実は、この喫茶店が一番の目的? 紅葉と天気と二人の予定と定休日(ここが肝心)を照らし合わせてこの日にしたのでした。なのでまずは一番にここへ。お腹も減っていたしね。事前に知らないと見過ごしそうな佇まいのお店でした。
玄関の格子戸を開けて「こんにちは~ごめんください~」応答がありません。上り框の戸をおそるおそる開けると、そこがお店でした。普通の家のように靴を脱いで上がります。廊下だったところでしょうか、川の流れが見える窓際のカウンターに席をとり、サンドイッチセットをいただきました。とても美味しかったです。
集落内にはもう一つ、やはり古民家を利用したお食事処「火間土(かまど)」があります。かまどで炊いたご飯と伝統的な日本の農村の食事が食べられるようですが、日曜のみの営業だそうで…この2つのお店は集落の観光マップにも紹介されています。
養蚕農家特有の越屋根の民家。
明治・大正時代は養蚕が盛んだったそうで、このような民家が数件残っています。
川で野菜を洗ってるおばさん。
現在の集落は東西に23軒(江戸後期は30軒)、板井原川の左岸に並び、六尺道と言われる幅員1間(1.8m)の道路が古くからの生活道でした。過疎化と高齢化がすすみ、空き家が目立ちます。おばさんの話だと現在生活しているのは数件のみとか。なお現在まで、自動車が集落内に入ったことは無いそうです。
昭和42年に古峠を抜けるトンネルができるまではこの地に車が入ることはなく、徒歩で行き来する「六尺道」だけが村に通じる唯一の道でした。今も集落内には自動車は入れませんが、川の右岸の山に続く林道が整備され、今は集落の川向うの神社のあたりまでは車が入れるようになっています。
集落の民家。大根や薬草を干している家も。
板井原大根は成長しても小さい大根で、昭和35年頃まで山焼きをした土地で栽培されていました。その大根を漬けたものを「板井原ごうこ」と言うんだそうです。その後栽培されなくなり「幻の大根」となっていましたが、村の伝統的野菜を復活させようということになり、40年ぶりに栽培されるようになったそうです。
村境にある六地蔵
集落へ入る道、六尺道
トンネルができるまではこの地に車が入ることはなく、徒歩で行き来する「六尺道」だけが村に通じる唯一の道でした。山に囲まれた小さな集落で、他の土地からの往来も少なく、ひっそりと暮らすこの集落には「平家落人の隠れ里」伝説もあるそうです。
他にも
昭和初期に分校として建てられた「板井原公民館」、江戸時代のものと言われる弘法大師像が安置されている「大日堂」、板井原川の流れを利用した米つきの水車小屋、炭焼き小屋等々、まるで昭和30年代の山村にタイムスリップしたような…
観光地としてあまり手を入れてないのがいいですね。
素朴で郷愁をさそう、とてもいい村でした。
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何年か前に2度くらい行きましたが、「のどか」ちゃんと営業してるんですね?
経営者のお姉さんは「この窓から見える自然の風景が何よりも贅沢なんです。」と語っておられました。
3年ごとの更新で町から委託されるのだとお聞きしましたが、今も同じ人かしら。
私も川の流れる窓際に座ったことがあります・・・水が綺麗なので、クレソンが群生していました^^
いいお店ですよね?
経営者のお姉さん、同じ方かどうか分かりませんが、きれいな方でしたよ。
トーストされたパンのサンドイッチは香ばしくて食感がよく、とても美味しかったです。
板井原集落は素朴で、時間が止まったようなこの風景、私は好きですが…
過疎化がすすんでいて、空き家や朽ちかけた建物がめだちます。このまま何も手をうたないていると、やがて集落がなくなってしまうのではないかとちょっと心配です。