なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

酔っ払いました!

2014年08月27日 15時45分02秒 | 日記

24日の月例会は、恒例の納涼でした。今年のコンセプトは、ズハリ「呑み」でした。U君が贈ってくれた、御贈答限定の「一番しぼりプレミアム」がチョー美味くってグビグビ飲んじゃったわ。U君ありがとうございますm(._.)m私の写真届きましたか?幸せそうな顔してたでしょう?k先輩が持って来た、高級メロン

生ハムメロンで美味しく頂きました。ミョウガを生ハムで巻いて、オリーブオイルをつけて食べたんですが、大人の味で美味しかったです。k先輩はテレビでやってたのをみたらしいです。余興の連想ゲーム懐かしかったんですが、久しぶりに飲むビールに酔って、外に涼みに行ってしまったので、ちょっとしか参加できませんでした。幹事のみなさん、ごめんなさい。ビール、生ハム、、メロン、コロッケ、焼き鳥、麻婆茄子&豆腐、プレミアムキュウリと盛りだくさんのメニューを前にして、カロリー計算などしてられないわ、ありのままに食べてやる、私は自由よーと、食べまくりました。でも後悔はしてない。年に一度の納涼だもの。
しかし、9月2日から4日まで、心臓カテーテルの検査入院の予約が入ってる私、これで大丈夫なのかな?
でも楽しかったからいいわ。

東京遠征

2014年08月20日 13時23分21秒 | 日記

私も驚いてます。映画一本を観るために東京に行くなんて。嵐のファン(あらしっく)でなきゃあ理解出来ないでしょうね。15周年の記念映画で、ドームシティホールでしかやらない、単館上映もの。チケットとるのに、4時間20分も電話しまくりました。行った日は、17日。お盆休みの最終日、新幹線には三列の座席を一つ取り外した、車椅子席があるんですけど、1電車にそれは一席しかありません。事前に第一希望と第二希望の時間を決め、仙台駅事務所に電話してその席を押さえてもらう必要があります。なんせ全国を対象として一席しかないわけですから。電話してから一時間ぐらいすると返事が来ます。予約票を緑の窓口に持って行き、初めて発券されるのです。まあその折に介護者がいればすぐに取りに行けますが、居なければその人を探さなければなりません。今回は週末に会議があり、その折に買いに行けました。それが一ヶ月前のこと。タブレットで道順を検索し、乗り換え駅を調べて、仙台駅にお知らせして、それぞれの駅に連絡してもらい、乗降の時にスロープが使えるよう手配してもらう必要があります。駅に少なくとも発車時間の30分前までに着いてなければなりません。まあ、いろいろ準備が必要ということです。今回は映画なので、LIVEと違い、総立ちになる心配がないから、手を貸してもらえば少しは歩ける私の場合は、座席に座れるわけなので、車椅子席の問い合わせは敢えてしませんでした。でも会場に行くと、車椅子席はあるが、連れの方とは別々になりますと、説明されましたが仲の良いあらしっくと離れたくなかったのでチケットの座席に座りたいと言ったら、了承され、車椅子も預かってくれました。臨機応変な対応に感謝ですね。
それにしてもいい時代になったもんですわ、東京に日帰りで行って来れるんですから。当日は心配したほどの混雑もなく、天候も朝こそ霧雨が降ってましたが、薄曇りでした。何もかもが私の東京遠征に都合良かったです。
かくして、私の今夏一大イベントの東京遠征は成功しました。旅の楽しみは美味しいものを食べることですが、糖尿病の身にはそれが出來ません。唯一食べたのが昼食の天ざるセット。
代わりに買いまくりました。マイブームのアナ雪グッズ。
ああ、楽しかった。

女川町

2014年08月13日 11時38分39秒 | 日記

10日の日曜日に女川町に行きました。「女川から未来を考えるつどい 加藤登紀子トーク&ライブwith小出裕章」というイベントに参加したかったからです。
先週もちょこっと書いたけれど、女川町は、私の本籍地でもあり、父の実家があるし、私自身も3歳から5歳まで暮らした町なのです。18歳までは、盆暮れには毎年行ってました。最後に行ったのは祖母の臨終の時でしたから、20数年ぶりです。祖母の家は女川の繁華街から車で30分位かかる竹浦の月浜という小さな浜の集落にありました。3年前の震災で津波に流され跡形も無くなってしまいました。幸い近い親戚で亡くなった方はいないのですが…両親も私も健康上の都合もあって、様子をみに行けずに気にしてました。電車も繋がってないし,どうやって行っていいかわからいし、途方にくれていたのが、本当のところでした。今回のイベントには複数の友人が関わってて、方々から声をかけて頂きましたが、行くのを決めたのは介護者のお仲間が車に乗せてくれることになったからです。会場の町立体育館は、原発マネーで建てたところです。一時は避難所になっていました。震災以前は、女川町に入ると、牡蠣のからの匂いや船のエンジンの音がしてたんです。でも今回は知ってるお店も無くなっていて、嵩上げのために土が盛り上がって、道路から見えた海もなかなか見えません。夏草が生い茂る空き地と工事関係者のトラックばかりの風景は異様で悲しくなりました。私の知ってる女川はなくなったことを実感しました。
車椅子だということで、実行委員の方々には大変親切にして頂いてありがたかったです。ただ、せっかくある車椅子用トイレが使えなかったのが惜しかった。それゆえに周りから「トイレの時は声をかけてね」と言われ、設備よりこういう気持ちの配慮が周りを変えて行くのだとちょっと思いました。当日お世話になった全ての人にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
加藤登紀子さんは本当に歌が上手くって、魅せるライブではなく、聞かせるライブは久しぶりでした。一緒に歌った『100万本のバラ』は圧巻でした。

光る海

2014年08月06日 13時15分24秒 | 日記

今日から仙台七夕祭りです。何となくそわそわするものの、この時期仙台の街には出かけたくありません。人は多いしものは高いし、飲食店は入りにくいし。この三日だけはおとなしくしてようと思うのが地元民だと思います。七夕飾りは見事だと思いますが、何度も見るもんじゃないし。秋田の竿灯や青森のねぶたは、動きがあって楽しそうですよね。昔から母親は人混みが嫌いなので、小さい頃もお祭りに連れて行ってもらった記憶はありません。父親も夏は警備関係の仕事があり家にいたことがなかった。寂しい夏です。高校卒業まで、船岡の養護学校の寄宿舎で暮らしていた私は、夏休みで親元に帰っても周りに友達がいないから、寄宿舎の規則から解放されて、食べたいものを食べて、TVをみたいだけみて、自由に過ごして嬉しいのも一週間位なものでした。お盆前後には父方の実家がある女川に行きますが、従兄弟と海に入るのが唯一のイベントでした。父の実家は、3年前の津波で跡形も無くなってしまいましたが、夏の思い出は、女川の海です。いつまでもあると思ってた故郷.なくなってからその大切さに気づきました。あの光る海をもう一度みたかった。