なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

お家で過ごそう!

2020年04月29日 11時35分00秒 | 日記


一人暮らし19日目。ヘルパーさんの協力や私の覚悟の上も有り、暮らしのリズムができて来ました。ヘルパーさんの派遣時間は限られており、ギリギリの余裕のないところでやっているから優しい気持ちがあっても言葉の行き違いからギクシャクしてくるところがあります。人の手を借りないと一人暮らしは出来ないので、グッと我慢してしまうのがこちら側の立場。そこの弱さを理解した上で言葉を選んでお互いに会話したいものです。

さて、私自身は、3月ごろから極力外出しない方向で来ていましたが、世の中も「非常事態宣言」が出て、緊張感が増し「stay Home」「家で過ごそう」キャンペーンでかしましくなっています。

そして「リモート出演」や「リモートのみ会」なる新技も出現しています。こういうことが好きな友人に誘われて「リモート・ランチ」をしました。まあ、直接会って話すのが一番ですが、それも叶わない状況下では、これもありかなと。スマホやタブレットがあれば簡単に出来るんですよ。皆さんもお試しください。連休明けには、この事態が解消されれば良いですね。多分無理かな。


非常事態宣言の影響

2020年04月22日 06時49分00秒 | 日記


一人暮らし13日目。私は障害者だから、1人でできないことが多いです。前から買い物とお風呂はヘルパー事業所の方にお願いしていました。今回一人暮らしをするにあたり、家事全般と起床、就寝の介助などが加わりました。一旦ベッドに寝てしまうと1人では起き上がれないので、苦渋の選択ではありましたが、夜はオムツを履いてそこで用を足すことしました。仕方のないこととは言え、なんか情けないです。手助けしてほしい事、できないことはっきり申し出てその上で、相談員、ヘルパー事業所と協議して、派遣時間を増やしてどうにかこうにか1人暮らしが最低限成り立つようになりました。皆さんの協力に感謝します。

一方、母は大腿骨の手術を終え早くもリハビリに入っています。コロナのせいで母には面会できません。最初はお医者さんや看護師さんがよんでくれれば会いには行けたのですが、「非常事態宣言」が出てからは病棟に上がる事はできなくなりました。昨日も看護師さんの依頼により荷物を届けに行ったのですが病院の玄関口で荷物を預けてそれで終わりでした。少しでも会えるのかと期待して介護タクシーまで使ったのにがっかりです。そして、その荷物は看護師さんにより母に届けられたのですが、何も言わずにただ置いていったから、訳がわからなかったと母が電話で話していました。「非常事態宣言」の具体的な影響が私にも出たと言う事ですね。やれやれ。

こういう状態になっても相変わらず行動支援は認められないため、母の用事の際の外出の介護は地区介の介護者にお願いしています。入院したことにより、介護保険でのヘルパーさんは休止しました。また母は、相当具合悪かったので家の中はめちゃくちゃでした。私のほうのヘルパーさんが気を利かして片付けてくれたんですが、その際、ヘルパーさんは母がだらしないせいだとぐちゃぐちゃ文句を言います。母だって若かりし頃は、ちゃんとしていました。いろいろやっていただくのはありがたいのですが、病人の悪口だけは勘弁してほしいです。言っていることが正当なことだとしてもです。「お前らも年取ってみろよ、そうすればわかるからよ」と心の中で毒吐いて泣いている娘でした。

だから文句も言わない介護者のみなさんにお願いして家の中は片付けていただくことが多くなりました。忙しい中来てくれた介護者の皆さんありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


母が入院  初めての一人暮らし

2020年04月15日 13時31分00秒 | 日記


母が足の骨を折って、入院しました。夜中に私の介護のために立ち上がって、転倒したんです。夜中にも関わらず駆けつけて下さった母のヘルパーさんありがとうございました。そして、私の暮らしを維持するために要請に応えてくれたヘルパー事業所の皆さんありがとうございました。 
こういう時によく言われがちな「ショートスティや、施設に入れ」と誰一人として言わなかったことに感謝します。家で暮らせるようにいろいろ考えてくれた皆さんありがとうございます。まだまだ思考錯誤しながらの暮らしですが、頑張りたいと思います。母は手術、リハビリを入れると長期戦になります。私もいろいろ覚悟が必要です。いろいろ心配してくれて電話をくれるお友達、仲間ありがとうございます。


うちで過ごそう (T . T)

2020年04月08日 10時51分00秒 | 日記




新型コロナウィルスの感染者が宮城県または仙台市で増えてきました.一例目の方が2月末、この方はダイヤモンドプリンセス号の乗客だった方。それでも新幹線で帰仙されているので、私は怖いと感じましたが、周りはそれほど意識しておりません。二例目の方は、七ヶ浜の人で多賀城在住の私は、すごく怖いと思いました.なぜなら東京から新幹線で来られた方の濃厚接触者だったから。新幹線で仙台に来て七ヶ浜に来る場合、仙石線に乗り降車駅は「多賀城駅」か「下馬駅」なんですよ、バリバリ私の生活範囲で、電車に乗るのが怖くなりました。流石に周りも騒ついてきました.そこから仙台のパプで、クラスター発生、移転の方も多い時期、昨日の時点で、県内は32人。二例目が出てから10日くらいしか経ってません。外出自粛要請が出てまして、関係団体の会議も休止になりました.26日以降、一歩も家から出ていません。仕方ないし、怖いから納得してますが、家から出て動き回って、人との交流をしながら社会と繋がってきた私は、やるせない気持ちです。「用事がある時は声かけて」と言ってくれる仲間はいますが、その方を電車に乗せて感染のリスクを負わせることを考えると、お願いするのを躊躇ってしまいます。今は「移らない」から「移さない」ことを意識変換をしなければならない時で
す。我慢します。「不要不急」とは「今日でなければならないこと」だそうです。



COVIDー19 志村けんさんが教えてくれたこと

2020年04月01日 07時36分00秒 | 日記

3月19日の総理発言「地域の状況で判断」という趣旨の内容。この時点で宮城県はダイヤモンドプリンセス号の乗客の感染者一名で、それも退院なさっているとの情報を得て、なんとなく気が緩んだ感がありました。

ところが、26日に七ヶ浜で、濃厚接触による陽性反応の方が出て、いきなり身近な問題となりましたよ。そして秋田からの旅行者により拡大した仙台の感染者。普段通っている街やお店の名前がニュースに出て来て、びっくりするやら慌てるやら、いろんな予定が中止となり、地区介護者会議も事実上の活動休止に追い込まれています。生活に関する介護はもちろん継続されますが。もうどこで感染してもおかしくない状況で、今は「感染しないこと」ではなく「感染させない」ための行動が必要になりました。SNSには「家に居よう」運動が展開されてます。
 
そして、29日に志村けんさんが新型コロナでお亡くなりになりました。ご家族の勇気ある公表で、いろんな世代に事の重大性を気づかせてくれました。この病で亡くなると最後の看取りはもちろん、火葬されて骨になるまで家族は関与出来ない事実を知らされました。悲しいです。

そして、宮城出身の脚本家のクドカンも感染しました。