明日で「東日本大震災」から10年を迎えます。私の住んでいる多賀城市は「都市型津波」と言われる津波で、川からと海からの水が街をサンドする形で2メートルの津波がやってきました。おまけに仙台新港の石油コンビナートが爆発し、赤い炎と黒煙が一週間も空を覆っていました。幹線道路は、流されたリ、置き去りになったりした車が道路を塞いでしまって、通行止めになっていました。一週間くらいです。
それでも私の家は高台にあるため、自宅そのものには大きな被害はありませんでした。本当に幸いです。でも下の方にはさっきも述べたように壊滅的な街の惨状があり、電気、水道、ガスが1ヶ月以上停止しました。私は車椅子に乗っている身体障害者、その頃はまだ生存していた父は寝たきり、おまけに母はぎっくり腰で動けない状況で満身創痍の状態でした。同じマンションの方が同情してくれて代わる代わる水汲みを代行してくれました。そしで荒廃とした道路をかき分けて自転車で2時間もかけて食料を運んでくれた介護者のT君、E君、などに助けて頂きました。本当にありがとうございました。今でも感謝してます。そして遠くから物資を送ってくれた友人のみなさん、SNSで知り合いになった方からも
いろいろお世話になりました。
「10年と言う区切りで、語れるのは以前の暮らしを取り戻せた人だ」と、復興道半ばの方々は明日も昨日も同じ日常なのだとインタビューに答えていたニュースキャスターがいました。日常を取り戻せた私には胸に突き刺さる言葉でした。
とはいえ、日本人は区切りをつけるのが好きですよね。
今年の3月11日は、様々な特集番組が放送されるようです。