なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

愛着が出てきた自宅

2024年10月02日 09時57分00秒 | 日記


もう10月になってしまいましたね。衣替えの月ですが、まだ暑い日があり、半袖をしまうことができません。半袖と薄い長袖と7分のシャツ、これをその日の温度に合わせて着回している状態です。ちなみに今日は2日、最高気温は28度だそうです。となると、もしかして冷房が必要かもね。

さて、引っ越してきてもうすぐ1ヵ月。大体の荷物が整理し終わり、自分用に部屋をカスタマイズすることを楽しんでいる状態です。既製観念に囚われず、必要のない扉はとっぱらい、床はフローリングになっているので、私が車椅子で動ける可動域が広がったので、台所にも出入りできるようになり、冷蔵庫の中身の管理も自分でできるようになりました。お金をかけてリフォームしたので、汚れるのが嫌でクイックルワイパーで一所懸命床を磨いています。自分でできなかった時は汚れなどは見て見ぬふりをしてすごしていました。すごい変わりようだと思います。(笑)

引っ越しを祝ってくれる皆さんのおかげで、今家の中に生花があります。花がある生活というのは良いものですね。ありがたいことです。結構お花は高いですから、自分ではあまり買いません。本当にありがとうございます。

そして、20年ぶり位で、若い頃からのお友達が訪ねて来てくれました。その友達とは20年ほどは年賀状などでやりとりしていて、会ってはいなかったんですけど、偶然なのですが、ご近所さんだと言うことが発覚しました。それを知らせてくれた共通の友人が連絡してくれて、その日の内に尋ねてきてくれました。数分もしないうちに昔の関係が戻り楽しいおしゃべりができました。お互いの近況を話しているうちに数時間が過ぎました。これからはご近所付き合いをしようと言うことになりまして、すごく嬉しかったです。やっぱり仙台に越してきてよかった。ここは「青春時代を過ごした街」でもあり、40年以上過ぎているんですけど、あの時結んだ絆はまだ切れていなかったと、私の若い頃の生き様は間違っていなかったと感慨に耽っている今日この頃です。 

暮らしが落ち着いたから病院のことを進めなければいけません。前の病院からは紹介状をもらっていたんですが、電話をかけて予約を取ろうとしたら、それだけでは足らないと「前の病院と連携が必要だから」ということで、病院同士の電話のやりとりが必要みたいです個人で、初診の予約を取るのではなく、病院間で予約を取って欲しいと言われ、前の病院に電話したり、いろいろすったもんだがあるみたいです。特に私はいろいろな持病があるから連携が必要なんだそうです。もっともらしい理由なんですけど、素人の私からみると病院同士の意地の張り合いみたいな感じが見受けられます。「かかりつけ医制度」みたいな法律ができてから、すごくめんどくさいことになっていますね。車椅子だとある程度の大きさがある病院でないといけないので、でもそのぐらいの規模の病院だと「かかりつけ医」にはなりたくないみたい。近くには個人病院はあるけど、入り口に段差があったり車椅子で中を歩けなかった。いろいろ大変なんですよ。内科の医者だと「障害者」を嫌がる人もいるので、どこでもいいと言うわけではありません。どういうお医者さんなのか専門以外のところで見定めなければならないので、本当に難しいです。新しい病院って本当に嫌です。予約日が決まっているのですが、憂鬱な気持ちです。あーあ。

方向音痴の苦悩

2024年09月25日 06時49分00秒 | 日記



仙台に引っ越してきて、20日。家の整理は大体終わり、家の周りのいろいろなことを覚えている段階です。どういうお店があるのか普段どこで買い物すればいいのか、どういう品揃えがあるのか、そして方向音痴の私が1番難解なのは「道を覚える」ことです。こちらに行けば区役所、そちらに行けば、地下鉄の駅などなど覚えたつもりでも通り過ぎちゃったりして、今のところは介護者やヘルパーさんに付き添っていただいているので迷わずに済みますが、何か1人で出かける自信がまだないんですよ。困ったもんです。いい加減にしろよと、自分のことを自分で怒っている段階です。でも今1番楽なのは、多賀城と違って、坂道がないことです。そして歩道の真ん中に電信柱がないこと、これはすごく助かります。1人で歩く時、車に気をつけなければいけないなぁと言う箇所があったりします。今の車はエンジン音静かなので、後から来ていることが気づかない場合があります。その辺が要注意ですね。

最寄り駅は東西線の「薬師堂」です。一駅先には「イオンスタイル」という、モールよりは小さいけれど、ちゃんと中規模なお店です。昨日行ってみたのですが、ATMはあるし、カルディとかセリアとかあって、フードコートですか?そういうのもあり、仙台の中央や郊外の店に行かなくても済みそうな感じです。このぐらいの距離なら道を覚えれば出かけられるでしょう。出かける支度と、帰宅の手助けをして貰えば、1人でも出かけられるようになるでしょうかね。がんばれ私。

このブログは「音声入力」で書いています。なんか今日は滑舌が悪いので、誤入力が多く修正しなければならず、ちょっとイラついています。
スマホに「なんでそうなっちゃうかなぁ」などと毒づいてしまい、そういう時に限ってちゃんと印字されるわけです。あーあって慌てて消したりします。

ここ数日ですっかり温度が下がり寒くなりましたね。慌てて長袖を出して着ています。飲み物も温かいものに切り替わりました。お茶がおいしい季節です

皆様気温の変化に気をつけて体調崩さないようにしてくださいね。楽しい秋にしていきましょう。



家の整理ができました。

2024年09月18日 09時19分00秒 | 日記


若林区に引っ越してきて、2週間。段ボールの回収も終わり、不自由なく生活できるまでに片付きました。たくさんの皆様のご協力による引っ越しでしたが、やっと完成を迎えました。ありがとうございました。まぁここで書いても読んでないと思いますけどね。上の写真は、1日の大半を過ごす部屋です。なるべくものを置かず広々と使うように心がけています。いつまでもつやら…。

最初から便利だったわけではなく、畳の部屋をフローリングに、扉を外し、スロープをつけて大家さんの許しを得てリフォームいたしました。自分でお金を出したので、愛おしさは強いです。一所懸命クイックルワイパーで掃除をしています。後は、彩りとオリジナリティをどうしていくかにかかっていると思います。20年は住みたいですけどね。交通の便もいいですから、20代の時暮らした街が目の前にあります。40数年も経つので、様変わりはしているけど、知っているお店をネットで検索したら、まだあって、母の好物だったものでも買いに行こうかしらと考えています。20代の頃希望に満ちて生活していた、そして今最後の砦として、ここに帰ってきた。偶然ではあるけれど、何かのお導きなのでしょうかそれを信じて頑張りたいと思います。

昨日は(17日)は「中秋の名月」だったけれど、部屋からは月が見えず、お供えもしなかったので、全然情緒がありませんでした。ニュースの番組で、きれいな満月を見ることができまましたが、なんだかなぁ。

住まいが落ち着いたら、もう少し前に進んでみようかな。街を散歩したいのですがままなりません。そうだとしても頑張れ私。


引越しました!

2024年09月11日 06時25分00秒 | 日記


9月5日に仙台市の若林区に引っ越してきました。なんだかんだで1週間。完全とは言わないまでも、日常生活を送れる程度には荷物の整理がつき、手伝ってくれた皆様には大変感謝申し上げております。でも、人の記憶って本当にあてにならないものです。ちゃんと書いているつもりでも、段ボールに入っている物が違っていたりして、中をかき回して「ないない!」と叫んだり、冷蔵庫が空っぽなので、食料を買い足したり、てんやわんやの日々でした。

5日の引っ越し当日、32年間暮らした。部屋の鍵を最後に閉める時、そしてお世話になった管理人さんに見送られ、マンションを出て行く時、もっと感傷にひたるかと思いましたが、引越先のことが気になり慌ててしく出発したので、泣いてる暇などありません。段ボールに囲まれた新居に到着、身動き取れない部屋の中で、ぼっねんとしているのがやっとです。引っ越し作業を他の人にも任せて、私は役所に手続きに行くことにしました。この手続きとても重要、これを急がないと、今日からのヘルパーさんのケアを継続して受けることが、叶わなくなります。そのために事前に準備、相談員さんのレクチャーを受けていました。役所の受付に言われるままにあっちこっちを移動し、汗だくになって3時間の手続きを終えました。それから三日間、怒涛の毎日でした。そして今、日常が戻ってきているんですけど、ちょっと寂しい感じです。この寂しさは当たり前になっていくんですけどね。

そして、方向音痴の私には、とても苦手なのが、街の道順を覚えること。どの辺が通りにくいとか、ここは1人では来れないとか、コンビニではこんな感じだとか。これから暮らして行くのに街になれるよう努力が必要かなと気を引き締めています。

また様々な方たちに引っ越し祝いをいただきました。段差を乗り越えるための「簡易スロープ」手作りの「水引きの髪飾り「鏡」「お茶」「バック」「お花」「ケーキ」などなど。本当にありがたくて大変感謝していました。皆様ありがとうございました。引っ越しが終わっても、私の闘いはさらに続きます。日常を支障なく、平穏に暮らして行くために頑張りたいと思います。これからも皆様、応援よろしくお願いいたします。



いよいよ明日

2024年09月04日 05時53分00秒 | 日記


今日は9月4日、そして明日9月5日でとうとう引っ越しの日がやってきます。このマンションに移り住んだのは32歳の時、亡き父が2年後に定年退職を控えており、直前に官舎を出て余裕を持って自分の住処を構えるのが、海上保安部の慣例となっていたからです。私たちにとってもやっとこ叶えた「夢のマイホーム」張り切って、家財道具を揃えていたのを覚えています。その基準は「もう引っ越さなくっていいのだから良いものを買おう、素敵なものを買う」でした。そして32年後、この家具はほとんど廃棄処分となりました。ただではありません。悲しいです。狭いところに引っ越すんだから仕方がないのですが。両親は、まさか32年後に娘の「介護保険」のことで、このマンションを手放すなんて考えてもいなかったと思うし、これで安泰だと思っていました。我が家が1番いい時期でした。私も1番活動的な時でしたね。綾小路きみまろではないけれど「あれから何十年」引っ越しを迎えます。19歳から24歳までを過ごした、思い出の街に引っ越すことになりました。もちろん40年を過ぎているわけですから、街並みはすっかり変わっています。その頃私が住んでいた借家もどうなっているのかわかりません。その頃の借家は、5丁目で、今度のマンションを1丁目です。多分歩いて行けるところに昔の家はあったでしょう。私が卒業した『聖和女子短大』は、今共学となり、「国文科」は廃止、キャンパスも薬師堂の隣から、中山のほうに移ってしまいました。私が卒業したことを裏付けるのは、卒業証書と私の記憶だけと言う寂しいものです。でも、現在放送されている『光る君へ』は、源氏物語を書いた紫式部の生涯を描いており、国文科では、源氏物語は必修科目だったから観ていて面白いです。結構覚えているものですね。19歳から20歳までの私は変更真面目に勉強していたのです。まぁあのドラマはフィクションであり、史実とはかなり違います。ドラマでは紫式部と清少納言の性格が反対に描かれているような気がします。紫式部はもっと粘着質で、暗い感じの人です。日記などで清少納言の悪口を書きまくっている女です。枕草子の清少納言は、あっけらかんとした感じがありますし。まあ、仕えている彰子中宮と定子中宮のバックの人々は、敵対している間柄でしたからね。ドラマの仲良しこよしはありえないことです。

あっ、引っ越しの事を書いていたのでした。つい思い出に浸ってしまいましたが、昨日3日.多賀城の最後の思い出に.存在は知っていたけど、行ったことがない、わらび餅のお店に行ってきました「天使のわらび餅、ふわり」と言うお店です。
若い女性が一人でやっている。小さなお店。「飲むわらび餅」が売りで、若い人たちに評判のお店です。飲むわらび餅とは、わかりやすく言えば、タピオカミルクティの感じのビジュアルで、タピオカの代わりにわらび餅の砕いたものが入っていると言うものです。昨日は蒸し暑かったので、冷たい甘いものはとてもおいしかったです。良い思い出になりました。