つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

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小山田圭吾問題

2021-07-19 12:53:00 | 日記

先週あたりから話題が沸騰している「小山田圭吾問題」

テレビ見ないとか、新聞読まないとか、ネットニュース見ないとかいう方のために簡単に説明しておきたい。

 

小山田圭吾氏(以下「小山田氏」)は今回の東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の制作メンバー(楽曲担当)である。

ところが、26年前(1995年)に発売された音楽雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」「クイック・ジャパン」において、小山田氏は自身の障害者に対する凄惨ないじめ・暴行行為を「笑いながら」語っていた(記事は小山田氏に対するインタビュー形式だった)。

同氏の常軌を逸した行為は小学校から高校まで続いた。

被害者は主に同氏の同級生だった障害者生徒である。

胸糞が悪くなるのでこのブログで上記インタビュー記事の詳細を引用するのは控えるが(実際、テレビのワイドショーなどでは放送倫理コードに抵触するらしく、小山田氏が関与していたいじめ・暴行行為を具体的に説明すらしていない。私は昨日、吐いた。)、以降の議論をはっきりさせるために必要な限度で、彼のしていた行為(小山田氏の説明では「自分はアイデアを出しただけで実際に実行はしていない」という)を挙げておく。

「被害者を跳び箱の中に閉じ込める」

「マットレスでぐるぐる巻きにして飛び蹴りする」

「排泄物(要するに人糞)を食べさせる」

「服を脱がせ裸で歩かせる」

「オナニーを強要する」

「殴る・蹴る」

等々である。

 

一部の識者から指摘されているとおり、これはいじめではない。

犯罪だ。

もっと正確に言えば、「人間の皮をかぶった獣(けだもの)の犯罪」である。

当然、SNSを中心として、「小山田圭吾氏はオリ・パラのスタッフ、開会式・閉会式の制作メンバーにはふさわしくない。辞職すべきだ。辞職しないならオリ・パラ組織委員会(以下「組織委員会」)が正式に解任すべきだ」という議論が沸き上がった。

 

小山田氏はCorneliusというアカウントで発信しているTwitterに謝罪文を掲載したが、そこにまた多くの批判コメントがついて現在、同アカウントは炎上状態にある。

ところが、小山田氏はこの「謝罪文」でオリ・パラのスタッフを辞職する考えがないことを明言し、どころか、組織委員会も一貫して小山田氏を解任する気はないと言い続けている。

組織委員会の理屈は以下のとおり。

「ご本人が発言について後悔して反省しておられると、おわび文を掲出した。我々は現在は高い倫理観を持って創作活動するクリエーターと考えている。開会式準備における貢献は大きなもの」

(高谷正哲スポークスパーソン(SP)による7月19日のメインプレスセンター(MPC)における会見)

さらに、知的障害者の権利擁護と政策提言を行う「一般社団法人全国手をつなぐ育成連合会」が7月18日、小山田圭吾問題に関して「強く抗議するが、参加取りやめまでは求めない」と声明を出したことから、一部のSNS上では、「障害者を代表する団体からも許しを得たんだから小山田氏は辞職する必要も解任される必要もない」という意見まで出始めた。

 

どいつもこいつも気は確かか?

 

私がこれほどまでに小山田圭吾問題に怒っているのは、3年前に死んだ妹が知的障害者だったという個人的な事情もある(※本ブログの「摂子の乳がん」カテゴリーの拙稿をお読みいただければと思う)。

しかし、そういった私の個人的事情を抜きにしても、小山田氏がしたことは人間の皮をかぶった獣の犯罪だ。

しかも同氏はそれを自己の武勇伝として、笑いながら上記「ROCKIN'ON JAPAN」誌のインタビューで話していた(昨日付で同誌の編集長兼当該記事のインタビュアーが謝罪コメントを発表したが、遅きに失した対応としか言えない。)。

小山田氏や「ROCKIN'ON JAPAN」、「クイック・ジャパン」を擁護し、オリ・パラ開会式・閉会式の制作メンバーから外れる必要はないという意見の主な理由は、上述した組織委員会のピンぼけなコメントを筆頭として、

「開会式が目前に迫っており、時間的に小山田氏をスタッフから外すのは間に合わない」

「小山田氏の音楽的才能は海外でも高く評価されている」

「すでに十分反省している」

「謝罪している小山田氏をバッシングするのは、むしろ同氏に対するいじめだ」

といったものである。

 

あまりにバカバカしいが、一応反論しておく。

時間的に間に合わないなら、最悪、楽曲なしで開会式をすればいい。

世界中に、「日本は障害者の人権を踏みにじったあげく、笑いながらそれを雑誌に掲載させているような獣を『才能がある、時間が足りない』という理由だけで起用した」と屈辱的な恥を晒すより遥かにましだ。

なにより、小山田氏が手掛けた曲をバックに世界中からやってくるオリンピアン・パラリンピアンたちを開会式に参列させることの方が百億倍失礼だ。

どうしても無音というのがいやなら、組織委員会の委員長なり、菅首相が、開会式の冒頭で、

「障害者に対するあらゆる差別、攻撃、偏見、人間としての尊厳を傷つける一切の行為をわれわれは許さない。

障害の有無にかかわらず人を人として尊重する社会を必ず実現する。

オリ・パラはそのためにあらゆる努力を惜しまない。

小山田氏の才能には深く敬意を表するが、他方で彼に傷つけられた方の心情、人間としての尊厳を考えたとき、今回の開会式では彼が携わった音楽を流すことは適切ではないと判断した。」

と意見表明・宣誓すればいい。

 

「十分反省している」論は全く説得力がない。

小山田氏は冒頭で紹介した26年前の音楽雑誌のインタビューで笑いながら自分の犯した「人間の皮をかぶった獣の犯罪」を語っていた。

そしてその後、平然と音楽活動を続けてきた。

被害者たちに直接謝罪することもなく、だ。

今回のTwitter上での謝罪文は、騒ぎが大きくなって追い詰められてから発せられたものだ。

しかも、その中においてさえ、「事実と異なる部分がある」「発売前に原稿をチェックしていなかった」などと、責任の一端を音楽雑誌に転嫁しようという姿勢すら垣間見える。

もし、この謝罪文を弁護士なりリスクコンサルタントなりの第三者がゴーストライトしているのであれば、これほど稚拙で、反省の色の見えない、駄文は見たことがない。

百万歩譲って、仮に小山田氏が反省しているとしても、世の中には反省しても一生背負っていくべき罪というものは存在する。

 

小山田氏がテレビやラジオや雑誌に登場するたび、彼の曲が聞こえてくるたび、彼に尊厳を蹂躙され続けていた被害者たちはどんな気持ちでそれを見て、聞いていたのかと思うと堪らない気持ちになる。

彼がしたことと、彼に辞職を求めることを、同じ「いじめ」という表現で括っている意見についてはあまりにバカバカしくて反論の価値すらない。

彼がしたことは「人間の皮をかぶった獣の犯罪」であり、彼に辞職を求めている人たちは「オリ・パラにはかかわって欲しくないと声を上げている」だけだ。

一部のお笑い芸人やネット・タレントが似たような立ち位置からコメントをしているのを拝見したが、もはや逆切れの感があった。

はっきり言っておく。

小学校、中学校、高校という、もっとも輝く楽しい時期に、人間としての尊厳を小山田氏に蹂躙された被害者たちは小山田氏に「逆切れ」すらできなかったんだぞ?

 

私の妹がそうだったように、障害者、中でも知的障害者に対する世間の風当たりはいまだに厳しい。

30年以上前はもっとひどかった。

私の妹もいじめられていた。

それでも妹は笑っていた。

知的障害者は、殴られても、蹴られても、水をかけられても、裸にされても、それでも誰かにかまってもらえることが嬉しくて笑う。

本当はみんなと仲よく遊びたいのに、友達になりたいのに、障害があるからうまくそれができない。

どうしていいのかもわからない。

だから、せめて、「いじめ」という形でも自分と関係を持とうとしてくれることが嬉しくて嬉しくて笑うんだ。

小山田氏の「人間の皮をかぶった獣の犯罪」の被害に遭っていた方が笑っていたのか泣いていたのか黙って耐えていたのか、私は知らない。

でも、わが子を動物のように扱われ、人間としての尊厳を蹂躙された親御さんの辛さ、苦しみを思うと胸が潰れそうだ。

私のブログなので好きなように言わせてもらう。

もし、私の妹が、あるいは私の子供が、小山田氏の被害者だったら、私は迷うことなく弁護士バッジを捨てて、彼とその仲間を皆殺しに行くだろう。

謝罪はいらない。反省も不要だ。

他人の尊厳を蹂躙した者は、同じ報いを受けるべきだ。

それでも小山田氏に批判的な立場の人たちの多くは、「オリ・パラにはかかわって欲しくない」と言っているだけだ。

これの、どこが、いじめだ?

 

組織委員会の説明は到底受け入れられないが、一番許せないのは、「時間的に間に合わない」「小山田氏も反省している」という訳のわからない理由で、障害を持ってなお、血の滲むような努力を経てパラリンピックに出場するアスリートたちに有無を言わさぬ選択を迫っていることだ。

「あなたたちの仲間を動物以下に扱い、人格を否定し、尊厳を蹂躙した男が作った曲の流れるセレモニーに参加しろ。

イヤなら、来るな」

と。

これほど傲慢で、非人間的な選択がかつてオリ・パラでなされたことがあるだろうか?

 

多くの人が勘違いしているようだが、「一般社団法人全国手をつなぐ育成連合会」は別に日本の、いや世界の障害者の代表ではない。

そもそも「一般社団法人全国手をつなぐ育成連合会」自身、小山田氏の行為に強い抗議の意思を表明しているのだが、それはさておき、今、僕らが一番配慮すべきは、小山田氏の被害に遭っていた障害者の方々とそのご家族の気持ちだ。

どうして誰もそれがわからないんだろう?

次に配慮すべきは、パラリンピックに出場するアスリートたちだ。

ようやくつかみ取ったパラリンピック出場という夢舞台を開会式から台無しにされる彼らの気持ちをどうして誰も考えないんだろう?

「小山田氏は解任しない。彼の曲が嫌なら開会式に来るな」と言わんばかりの態度を組織委員会が暗に示しているからか?

 

障害者を家族に持っていた人間として、私は小山田氏をおそらく生涯許せない。

小山田氏がオザケンたちと結成していたフリッパーズ・ギターを喜んで聴いていたあの頃の自分のケツを蹴り飛ばしてやりたい気分だ。

 

小山田氏を擁護する人たちは彼の「才能」を皆評価する。

たしかに才能はあるだろう。

でも、ヒトラーもドイツ経済を復興させた「才能」があった。
戦争に突き進んでいく中で彼に代わる「総統」は見つからなかった。
ドイツ国民はそういう男の才能を万雷の拍手を持って支持した。
そして人類史に残る、永久に消し去れない、人間の尊厳に対する犯罪を犯した。

他者の尊厳を踏み躙ることに躊躇しない、という点において、小山田氏も、「ROCKIN'ON JAPAN」や「クイック・ジャパン」のインタビュアーたちも、「才能」の一言でそれに拍手を送っていた人たちも、ヒトラーや当時のドイツ国民と変わらない。

小山田氏や彼の作品、「ROCKIN'ON JAPAN」や「クイック・ジャパン」を擁護する人も、いつかわかる時がくる。
自分や、あるいは自分の大切な人が裸にされ、マットにくるまれ、人前でオナニーをさせられ、人糞を口に押し込まれたときに、きっとわかる。

 

小山田氏には東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の制作メンバーを速やかに辞職していただきたい。

もし、本当に氏がかつての自分の行為を反省しているなら、その被害者の方々に今できる唯一の償いは、オリ・パラのスタッフを辞職することだ、ということくらい理解できるだろう。

もし、小山田氏が辞職に応じないのなら、組織委員会は彼を直ちに解任すべきだ。

これ以上、彼に「障害者に対する犯罪」を犯させてはならない。

今回の被害者は彼の同級生たちだけでなく、世界中から日本に集まったパラリンピアン、そして、世界中のすべての障害者の方々だ。

わからないのか?