あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

行く道はとても長い。なのに帰り道はすぐに終わるようです。

2008-03-02 22:03:32 | 日記
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あのビルに汗の臭いやタバコの臭いが感じられないように
この釣り船には消臭、換気という言葉は見つからない
私はあのビルに好意をもってはいない。
この釣り船に愛着があるわけではない。
それなのに
私は、なにもかも中途半端なのです
あいまいで言葉を濁してばかりの
運河に浮かぶ浮遊物なのです。

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菜の花が咲き始めました

2008-03-02 18:54:22 | 日記
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自然も人の季節も順番にやってきます
菜の花は咲くときを知っているのかもしれません
澄み切った空の臭いを知っているのでしょう
きっと空と菜の花は私たちが想像できないやり方で
通じ合っているのです。

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浪曲(昭和という時代)

横浜にぎわい座で国本武春の浪曲会を楽しみました。
先月、口演を聞いて面白かったので
姉に誘われて出かけました。
実は先月に聞いたときも
もう浪曲を語る人もいないと思ったのですが
彼は華があり
元気に活躍していたのです。
それが新鮮でしたね。
もう守るべき伝統芸能になりさがっていると思っていたものが
現代に生きる芸能になっていたのです。
彼は、忠臣蔵の一節を語ったのですが
言葉も明瞭で展開にもテンポがあり
熱がこもり、三味線と息がぴったりで盛り上がりました。
あの間合いというのでしょうか、呼吸が合っている
あのスリリングな関係はモダンジャズにある即興演奏と似た
独特の興奮があります。
今日は、ゲストとして応援出演した小沢昭一の話芸もあり
ホール全体が熱くなってました。
小沢昭一は日本の芸能史の研究家なのです
久しぶりに掛け声がいっぱいでる口演にめぐり合いました。
そういえば
昭和二十年代、浪曲は最もポピュラーな芸能でした。
ラジオでは毎日のように浪曲が流れてきました。
平沢虎三、春日井梅鶯(字は違っているかもしれません)というような名人が
いっぱいいました。
小学生の頃のことですから、浪曲が好きなどと言えませんでしたが
周囲に流れているうちに耳が覚えてしまうのです。
けっこう、口真似をしたものです。
年配の人なら、一節ぐらいはけっこう覚えていたものです。
それが映画、テレビの普及であっというまに衰退し
若い人が後継者として育っていないさえ話題にならなくなりました。
それは一気と言う感じだったのです。
それが、この数年、人気浪曲師の登場でにわかに活気が出てきました。
出し物はイマイチ時代錯誤という感じですが
それなりの情熱を感じます。
これからの時代、どのような推移を辿るか分りませんが
手作りの芸能ですから
日本文化の泥臭さを踏襲した演目であることが必要なのでしょう。
頑張ってもらいたいと思います。
人の肌に触れるような節回し
省略が多く、分りやすい内容など
現代の私たちにもぴたっとくるものがありますね。
面白いジャンルだと思います。

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何かツッカエ棒がないと上手く説明できない

何かを作り出そうとする人
役立つことをしようとする人

私はそのどちらでもない

懸命に言い訳を考えるのだけれど
自分が納得する言い訳が思いつかないのだから
他人が了解できるわけがない。

でも、「何もなくてもいいじゃない」
そんな大人の説明もできない。

「作り出す」ことへのこだわり
「役立つこと」は必要なんだと思い込んでいる。

そんなとき「野の花」
そして「空飛ぶ鳥」が飛び出して
私の文法を混乱させてしまうことがある
それもしばしば・・・・・

ありそうな人の行動を見ていると嘘っぽいし
そもそも周囲の人が読んでしまうような人は
信用できない。

どんなどうどう巡りは年をとると焦りになる。