あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

張った帆に追い風受けて出発!

2008-03-07 15:18:22 | 日記
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高倉健の映画を見ながら大人になった

網走番外地シリーズ
場末の映画館で夜遅くまで見ていた。
満員の劇場の客席の通路に座り込んでみた。
子ども料金は30円だった。
五円玉は覚えているけど
10円はお札だったかもしれない
夜遅くまで見ていて
「どこに行っていた」と叱られてばかりいた
でも、家にいても淋しいだけだった。

東京タワーもできたし
東京オリンピックで活気が生まれた

仁侠映画のかっこよさが人気だった
ドスを振り回し
「死んでもらいます」と凄むと
拍手がでる不気味さに
違和感を受けつつも、一緒に手を叩いたりもした
藤純子の赤い口紅に見とれたこともある。
この時期、高倉健は背中に刺青を背負い
せっせと映画会社のために貢献しつつ
消耗していたのかもしれない。
映画を見ながら高倉健の背中でなければ
刺青負けしてしまうのだろうか
そんなわけの分らない知ったかぶりの解説を試みたりもした。

高度成長の時代に取り残された人もいる

「幸せの黄色いハンカチ」
でいい人になった。
刑務所帰りの男なのに妙に身びいきしたくなる
そんな男に変身していた。
そして、親友の女房に恋し、強くない男さえ演じて見せた。
大人はかっこよ過ぎにどこか距離を感じていた。
意味不明な論理でドスを振り回したり
命を投げ出す
考えてみれば道理に合わない
そんな高倉健演じる男が好きだったのだ。
でも、学生にとって暗く
負い目がちくちくする時代だった。

霞ヶ関ビルが一気にのっぽ順位を下げた

白髪が混じった過去をもつ男を演じた
ヤクザ稼業に距離を置きだしたし
こだわりのある警察官であったり
退職を前にした頑固な鉄道員であったりした
特攻隊の生き残りもあった
そして、ときおり、元暴力団員
その渋さと女性に好意を寄せられながら
「不器用ですから」などと言ってのける
そして、自分の過去を語らず
言い訳しないで寡黙な男になった。
しかし、多くの場合、出世を望んでいる気配は見せなかった。
少々ついていけない境地に突き進んでいた。

いつか私も退職し、過去を懐かしむようになった

ついに高倉健は銀幕でかっこよいを演じることが難しくなった
美しく強い肉体が衰え
刺青が映えなくなった
老人斑が手の甲に増え
見たくないものを見たような
そんな気持ちにさせられた
喉に何か詰まったような声も気になる。
このまま時間が止まってほしいと思った。
その美学に生きた存在で欲しくなり
高倉健の肉体から見たものは消えた。

でも、一人でどうしているのだろうか
そんなどうでもいいことを気にするようになりました。
一つずつ役者として着てきたもの脱ぎ始めたら
何も残らない。
そんなことを振り返っているだろうか

でも、何もない。なんでもない高倉健もかっこいい。

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「東京タワー オカンボクと、時々オトン」

一人で暮らしを建てなければならない母親に
目いっぱい頼り、金を無心した息子
母親が、上京して同居してからは、精一杯親孝行した

亡くなった母親の通夜の日
添い寝をしている息子
「精一杯二人で病気と戦った」
その終わり方は美しかった。

母親は「精一杯親孝行してもらった」という文章を残していた。

死は自分の人生の総括であり、自分の全部を示すステージなのですね。

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