あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

永訣の朝

2008-03-10 14:41:11 | 日記

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「ここはどこの細道じゃ」

参道という重さもいい
旧街道という言葉もいいし
細道、路地、露地という言葉の響きもいい
路地裏、「通り抜けできます」という看板もいい

緩いカーブと坂道が組み合わされた
不思議の世界に入り込んでしまいそうな
そんな道に吸い込まれていく
そんな裏道ならもっといい

突然、現実に引き戻されたり
意外な場所に迷い込んだり
「ほほほ・・・」と歓声を上げたくなるような
迷宮に迷い込んだり
日本蕎麦屋の裏口に出てしまったり

昭和の時代に引き込まれたり
懐かしい井戸端会議の臭いが残ったり
三段になった物干し竿が利用されているのを
発見したり
杖をつきながら歩いている毛糸の帽子のばあちゃんに出合ったり
臭いだけでなく懐かしさえ消そうとしている表道もあるけれど
何となく、暇なときは裏道を歩きたい。
私のこれまで歩いてきたのも
裏道であったかもしれないけれど
裏道の奥行きなどちっとも分かっていない。





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「永訣の朝」

             宮沢賢治

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

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明日はあしたの風が吹く

2008-03-10 13:14:06 | 日記

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「明日は違った日」

風と共に去りぬのラストシーン
南部の女スカーレットが
凄い迫力で
言い放つ言葉

「明日は明日の風が吹く」

石原裕次郎のアクション映画のタイトル
裕次郎が演じる主人公の
ニヒルになりきれない
お人よしの言葉
それでも「気にしない。気にしない」
と逃げ口上でもあるし
失敗から立ち直るきっかけを産むことばだ。

「この水はさっきの水ではない」

レオナルド・ダ・ビンチが川の流れを観察し
手帳に書き止めた言葉
当たり前を凝視した
レオナルド・ダ・ビンチらしい冷徹な視点
そして、老子も同じようなことを言っている。
黒田如水の「水五訓」をあげている。
みな、同じことに気づいているのだ。

このように常に変わり続け
ひとところにおらず
そこに存在しているようでいて、存在しているように見えるだけ
そんな実在に気づいている人がいっぱいいるのだ

きっと、私の浮気心
飽きやすい性格
気まぐれ
約束は破るし
裏切ることもある
それは自分が自分であると思い込んでいるけれど
そのどれが自分であるか分らない。
そんなことを示しているのかもしれない
ちょっと、安心、小さな言い訳できそう

きっと、言い逃れも理に適っているのだ
だから、今日までのことは帳消しにして
「明日からダイエット」
「明日から禁煙」
「明日から100円貯金」
と言って見よう。