・・・・・・・・・・・
現役の役職で生きる悲しい年よりもいる。
年配者が活動をしています。
そして、それぞれの分担で作業をしています。
あれこれの活動があります。
あるグループは盆踊りを企画し、あるグループは新聞を作っています。
趣旨はいいし、喜ばれることですから仲良く楽しくできるはず
ところが年寄りが集まると大変!
盆踊りなどは外部の指導者がくるからいい
ところが新聞を作るとなると大変!
多くの人は、パソコンを使える人がいない。
当然と言えば当然
そんなことお構いなしに係が決まりますから・・・・
そうなると、たまたま、パソコンを使うことができる人は大変
(昔からそうでしたね)
その人は自分がパソコンが使えると自慢げに話したからいけない。
その人がなんでもするものだとみんなが思い込んでします。
年配者のグループでは、「できない」ことが武器になる。
「やりたいと思っていたけれど、できなかった。」
「できないからできない」
「できる人は羨ましいわ。私って何をしても駄目なの」
「だから、お任せするわ」とつながる
ということになり
できない人は口だけ出すかかりになります。
また、つかえない人がパソコンを使えるような者に指示するようになります。
また、命令をしたことしかない元偉い人が混じると
これもまた大変
彼らは、自分が作業するなど思いもつかない。
誰かがやるべきではあるけれど、それは自分ではない
そんなことで口を出したり、もっともらしいことを言うけれど
自分では手を出さない。
注文はあれこれするけれど
「自分がやります」とは決して言わない。
作業している人に「大変ですね」とも言わない。
言ってしまうと、自分が何もしていないことを認めてしまうからです。
どこのグループも同じようなことになります。
あれこれ注文をし、クレームをつけることが自分の仕事だと心得ている。
結局のところ、技術をもっている人が
あれこれ指示されたことを忠実に行い
あれこれ訂正を求められたり追加すべきことをやらされている。
そんな風景を何度も見ました。
言いだしっぺが損をする。
若いこと、そんな法則は支配していました。
年をとったら、
できないこと、したことがない
それを押し通すことが重要なのです。
仮にできたとしても決して、知られてはいけないのです。
下手に、やってみますと言い出したら
できない人の餌食になってしまいます。
いっぱいアドバイスをすることは親切で好ましいことだと
すっかり錯覚し
周囲の人に溢れるほどのアドバイスをする
それが老化なのですね。
他人事のように書いていますが
自分も当然、その一人です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
橋本駅前でカタクリの里行のバスを待っていました。
むこうから、赤いシャツ着たおばさんが歩いてきます。
バスターミナル内を横断しているのです
次々、バスが往来しています。
まったく動じた様子もなく
杖をついて歩いています。
迂回する道があるのですが、無視しています。
バスがおばさんが通り過ぎるのを待っています。
バスが通過するのを待っているなど
おばさん、知るよしもありません。
「そこのけそこのけおばさんが通る」です。
そして、無事?バス停にたどり着くと
時刻表を確かめ
「インターネットで調べたら8時に
臨時バスが出るとあったけれど
この時刻表では9時しかないのね。
この時刻表が間違っているのかしらね。」
と私に話しかけます。
思わず、
「8時のがありますよ。その時刻表にありますよ。」と答えると
おばさん、再度、時刻表を見て
「ちゃんと分るように書いてもらわないと困るわ」と言う。
そんなおばさんと付き合っている家族は御苦労様。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の年をとったときの10の約束
自分の経験を語ったり、アドバイスしない。
人の上に立たない。押し出されても引き受けない。
「親切」はしない。当然、役立っているなどとうぬぼれない。
孤独をありがたいことだと思う。
足で思考する。
年寄りだから許されるなどと錯覚しない。
周囲の人が自分を助けてくれるなど思わない。
ただただ、笑顔でいる。
自分の死をしっかりデザインする。
自分が生きていた証となるものだけに心を向ける。
現役の役職で生きる悲しい年よりもいる。
年配者が活動をしています。
そして、それぞれの分担で作業をしています。
あれこれの活動があります。
あるグループは盆踊りを企画し、あるグループは新聞を作っています。
趣旨はいいし、喜ばれることですから仲良く楽しくできるはず
ところが年寄りが集まると大変!
盆踊りなどは外部の指導者がくるからいい
ところが新聞を作るとなると大変!
多くの人は、パソコンを使える人がいない。
当然と言えば当然
そんなことお構いなしに係が決まりますから・・・・
そうなると、たまたま、パソコンを使うことができる人は大変
(昔からそうでしたね)
その人は自分がパソコンが使えると自慢げに話したからいけない。
その人がなんでもするものだとみんなが思い込んでします。
年配者のグループでは、「できない」ことが武器になる。
「やりたいと思っていたけれど、できなかった。」
「できないからできない」
「できる人は羨ましいわ。私って何をしても駄目なの」
「だから、お任せするわ」とつながる
ということになり
できない人は口だけ出すかかりになります。
また、つかえない人がパソコンを使えるような者に指示するようになります。
また、命令をしたことしかない元偉い人が混じると
これもまた大変
彼らは、自分が作業するなど思いもつかない。
誰かがやるべきではあるけれど、それは自分ではない
そんなことで口を出したり、もっともらしいことを言うけれど
自分では手を出さない。
注文はあれこれするけれど
「自分がやります」とは決して言わない。
作業している人に「大変ですね」とも言わない。
言ってしまうと、自分が何もしていないことを認めてしまうからです。
どこのグループも同じようなことになります。
あれこれ注文をし、クレームをつけることが自分の仕事だと心得ている。
結局のところ、技術をもっている人が
あれこれ指示されたことを忠実に行い
あれこれ訂正を求められたり追加すべきことをやらされている。
そんな風景を何度も見ました。
言いだしっぺが損をする。
若いこと、そんな法則は支配していました。
年をとったら、
できないこと、したことがない
それを押し通すことが重要なのです。
仮にできたとしても決して、知られてはいけないのです。
下手に、やってみますと言い出したら
できない人の餌食になってしまいます。
いっぱいアドバイスをすることは親切で好ましいことだと
すっかり錯覚し
周囲の人に溢れるほどのアドバイスをする
それが老化なのですね。
他人事のように書いていますが
自分も当然、その一人です。
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橋本駅前でカタクリの里行のバスを待っていました。
むこうから、赤いシャツ着たおばさんが歩いてきます。
バスターミナル内を横断しているのです
次々、バスが往来しています。
まったく動じた様子もなく
杖をついて歩いています。
迂回する道があるのですが、無視しています。
バスがおばさんが通り過ぎるのを待っています。
バスが通過するのを待っているなど
おばさん、知るよしもありません。
「そこのけそこのけおばさんが通る」です。
そして、無事?バス停にたどり着くと
時刻表を確かめ
「インターネットで調べたら8時に
臨時バスが出るとあったけれど
この時刻表では9時しかないのね。
この時刻表が間違っているのかしらね。」
と私に話しかけます。
思わず、
「8時のがありますよ。その時刻表にありますよ。」と答えると
おばさん、再度、時刻表を見て
「ちゃんと分るように書いてもらわないと困るわ」と言う。
そんなおばさんと付き合っている家族は御苦労様。
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私の年をとったときの10の約束
自分の経験を語ったり、アドバイスしない。
人の上に立たない。押し出されても引き受けない。
「親切」はしない。当然、役立っているなどとうぬぼれない。
孤独をありがたいことだと思う。
足で思考する。
年寄りだから許されるなどと錯覚しない。
周囲の人が自分を助けてくれるなど思わない。
ただただ、笑顔でいる。
自分の死をしっかりデザインする。
自分が生きていた証となるものだけに心を向ける。