・・・・・・・・・・・
私が「見栄を張りたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「はったりをかましたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「知ったかぶりを試みたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「同情を引く対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「傲慢さを誇示できる対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
あれこれまぜこぜにして
私には存在理由があるけれど
私でなくてもかまわない
私でなくても間に合うのです
だから私はそこにはいないのです。
・・・・・・・・・・・・・
「ブロクバックマウンテン」を見て泣きました。
周囲の人が受け入れることができない
形であったとしても
貫くしかない男の立ち尽くす姿に泣きました。
自分達だけしか支えるものがない
行き場所のない生活のやるせなさは経験したことがないけれど
でも、存在を知ってしまえば避けられない現実となってしまった。
常識の代弁者
多数派の代表者
その固定的で残酷な倫理
巨大宗教の怪しい教義
どれもが正義を貫くようなふりをして
得体の知れない正義を押し付ける
自分こそ正義の体現者
大きな背景にしているつもりで
少数派や自分達に反抗する人のことを異端を言い始め
批判中傷を浴びせ続ける
私と言えば、似たり寄ったりの正義に胡坐をかく
それでいいのだと言っている
そんな自分も誰も何も言うまい
批判されず、そこそこ善意の人といわれる
そんな人でいいと思っている。
でも、それは明らかに加害者であり
傍観者という卑怯な存在なのだ。
ある障害者は「自分の顔を見て不気味なものを見るような目」
で見られている事実を当然だろうと突き放してブログに書いている
あるブログでは「この田舎町では
自分はGAYであるとカミングアウトできない」
そんな管理者のメッセージがあった。
常識あるおじさんは決して単なるいい人なのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・
たくあんを音を立てて食べる人
御飯のお代わりができる人
納豆がないと食べた気がしないと豪語する人
味噌汁を音を立ててすすりながら食べる人
骨を上手に残して魚を食べる人
昆布とフリカケで夜食を楽しめる人
冗談言いながら食事ができる人
皿から溢れた野菜を手づかみで食べれる人
食通が自慢にならないと思っている人
なんとなく友達になれそうな人たち
・・・・・・・・・・・
笑える話を笑えない
年よりは笑われる人の心のひだに寄り添いたいのです。
他人を笑いのタネにすることに臆病になるのです。
特に自分が自分を笑う人の裏にある
悲しみと絶望を探そうとするのです。
だからどうだといわれても
年よりには分るすべがないのです
でも、むやみに他人のことを笑えなくなるのです。
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私が「見栄を張りたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「はったりをかましたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「知ったかぶりを試みたい対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「同情を引く対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
私が「傲慢さを誇示できる対象」である限り
私には存在理由があるけれど
そんなこと私には関係ない
そう思うのです。
あれこれまぜこぜにして
私には存在理由があるけれど
私でなくてもかまわない
私でなくても間に合うのです
だから私はそこにはいないのです。
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「ブロクバックマウンテン」を見て泣きました。
周囲の人が受け入れることができない
形であったとしても
貫くしかない男の立ち尽くす姿に泣きました。
自分達だけしか支えるものがない
行き場所のない生活のやるせなさは経験したことがないけれど
でも、存在を知ってしまえば避けられない現実となってしまった。
常識の代弁者
多数派の代表者
その固定的で残酷な倫理
巨大宗教の怪しい教義
どれもが正義を貫くようなふりをして
得体の知れない正義を押し付ける
自分こそ正義の体現者
大きな背景にしているつもりで
少数派や自分達に反抗する人のことを異端を言い始め
批判中傷を浴びせ続ける
私と言えば、似たり寄ったりの正義に胡坐をかく
それでいいのだと言っている
そんな自分も誰も何も言うまい
批判されず、そこそこ善意の人といわれる
そんな人でいいと思っている。
でも、それは明らかに加害者であり
傍観者という卑怯な存在なのだ。
ある障害者は「自分の顔を見て不気味なものを見るような目」
で見られている事実を当然だろうと突き放してブログに書いている
あるブログでは「この田舎町では
自分はGAYであるとカミングアウトできない」
そんな管理者のメッセージがあった。
常識あるおじさんは決して単なるいい人なのかもしれない。
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たくあんを音を立てて食べる人
御飯のお代わりができる人
納豆がないと食べた気がしないと豪語する人
味噌汁を音を立ててすすりながら食べる人
骨を上手に残して魚を食べる人
昆布とフリカケで夜食を楽しめる人
冗談言いながら食事ができる人
皿から溢れた野菜を手づかみで食べれる人
食通が自慢にならないと思っている人
なんとなく友達になれそうな人たち
・・・・・・・・・・・
笑える話を笑えない
年よりは笑われる人の心のひだに寄り添いたいのです。
他人を笑いのタネにすることに臆病になるのです。
特に自分が自分を笑う人の裏にある
悲しみと絶望を探そうとするのです。
だからどうだといわれても
年よりには分るすべがないのです
でも、むやみに他人のことを笑えなくなるのです。
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