あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

鎌倉は人であふれていた。

2008-11-03 16:57:29 | 日記
円覚寺山門裏のソバの花

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小津安二郎の「麦秋」に出てくる北鎌倉駅

昔とちっとも変わっていないだろう。

無人駅に近い雰囲気のまま。

麦秋に出てくる北鎌倉が最寄り駅だとすれば

舞台となる場所は源治山辺りだろうか。

海が近い設定だとすると

ちょっと見当がつかない。

原節子と三宅邦子がサンダル履きで散歩するシーンを考えると

建長寺近くかもしれない。

そんなことを考えながら

歩いた。

円覚寺の「風とおし」を拝見した。

円覚寺は修行僧がいるだけでも雰囲気が違う。

でも人が多い。

そんなことで、一回りして

東慶寺、明月院を巡り

鶴岡八幡宮に向かいました。

そこも人がいっぱい

京都の三年坂と同じような人ごみ

七五三の慶事ということもありますが

紅葉の時期でもないのにいっぱい

どうして、人は出てくるのでしょうか?

でも、人ごみの中を歩くと、それなりに楽しい。

鳩サブレをかじりながら歩くのも嬉しい。

写真を撮れる様な状況ではなかったのが残念。

紅葉に時期がきたら、また訪ねようか


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「ハウルの動く城」(宮崎 駿監督)

絵がきれい

物語が複雑でふくらみがある。

それだけでもアニメの常識を超えている。

面白い人には面白いだろうし

宮崎 駿監督ファンには最高のプレゼントになっただろう。

公開当時見ましたが、何も伝わってきませんでした。

それではと思いビデオを借りてきてみましたが

30分アニメの単純なテレビドラマの方がわかりやすいし

ストレート

そんな印象のままでした。

また、寄り道してから戻ってきましょう。


円覚寺の風とおし

2008-11-03 05:49:59 | 日記
円覚寺の特別公開日です。

出かけます。

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「裸足の1500マイル」(エバーリン・サンビ監督)

公式サイトの宣伝文

【STORY】

1931年、西オーストラリア。アボリジニ保護局の局長ネビル(ケネス・ブラナー)は、混血アボリジニの子供を家族から引き離し、白人に同化させる政策を押し進めていた。もともとオーストラリア西部を南北に2本になって横切る5000マイルもの長大な“ウサギよけフェンス”を作りに来た白人男性が、現地のアボリジニ女性に生ませた混血児が大量に存在したことから、この計画は始まっていた。当時「野蛮」とされていたアボリジニの中に、白人の血をひく幼い娘達がいる。彼女達をもとの野蛮な生活から隔離し、「教化」して、さらに白人男性の子を生ませることで、二代後には外見も白人と変わらない子供が誕生する――というのが「アボリジニ保護」の名目で行われていたのだ。ネビルは混血を重ねたアボリジニのスライド映像の前で、こう主張する。「混血児を文明化する、これがその答えです。人種交配も三代で肌の黒さは消滅します。白人文化のあらゆる知識を授けてやるのです。野蛮で無知な原住民を救うのです」云々…‥。

本来アボリジニは狩りをしながら大陸を放浪する民だ。ギブソン砂漠の端、ジガロングに白人が配給所を作って以来、砂糖や食料を配給してもらう配給日が近づくと、付近のアボリジニは野宿して待つ。14蔵の少女モリー(エヴァーリン・サンピ)が空をいく鳥を見ていた。「“精霊の鳥”だよ。どこにいてもお前を見守ってくれる」と母が教える。モリーは狩り上手だった。と、彼女とその妹で8蔵のデイジー(ティアナ・サンズベリー)、従妹の10蔵のグレイシー(ローラ・モナガン)という三人の混血少女を確認する白人達の姿が…‥。早速、ネビルから「隔離」命令が出て、彼女達は連れ去られてしまう。「逃げたら母親を逮捕する」とモリー達を脅し、泣いてすがる母を後にして、ジープは南へ。檻に入れられての汽車の旅、自然には無い人工ノイズの氾濫が強調され、さらに乗り換えてトラックの荷台での長旅の果てに辿り着いたのは、西オーストラリア最大の都市パースの北にあるムーアリバー収容所だった。大部屋にベットが並べられ、用を足すのは隅のバケツ、英語以外は禁止で、食事の前はお祈りを強要される寄宿舎生活。絶えず監視される監獄のような生活から逃れ、親に会いたくて脱走する者もいたが、収容所には凄腕の追跡人、アボリジニのムードゥ(デビッド・ガルピリル)がいて、脱走は不可能。すぐ捕まって見せしめの厳罰が処されるのだった。こっそり「デビル」とアダ名されるネビル局長お気に入りの「スワニー川」を合唱させられ、皆の前に呼ばれて肌の白さで選別される屈辱に耐えかねたモリーは、逃げ出して母の元へ帰る決意をする。「どうやって?」と尋ねる幼いデイジーに、モリーは「歩くの」と答える。「遠すぎる」というグレイシーも加わり、足跡や匂いが消える雨の日についに決行。ムードゥをいったんは捲くことに成功する。だが過酷な家路は始まったばかりだった。

2日後、ネビルは三人の脱走を知るが、すぐムードゥが捕まえると甘く見ていた。だが巧みにムードゥの追跡を逃れ、時にはアボリジニ男性や親切な白人女性にも助けられて逃げ続ける彼女達に、費用面で渋る警察隊と難儀な追跡交渉を続ける羽目になる。マスコミも嗅ぎ付け、保護局の面目も丸潰れだ。1ヶ月が過ぎた頃、ネビルは彼女達の目撃証言を地図と照らし合わせ、あることに気付く。「フェンスだ、ラビット・フェンスに沿っている…‥石器時代の生活をしていても、かなり頭がいい」と。そう、助力者のヒントでモリー達はウサギよけフェンスを見つけたのだ。それは遥か遠くのジガロングまで繋がり、そこでは母がフェンスを通して不思議なコミュニケーションをはかっていた。そしてネビルが気づいて挟み撃ちを命令した頃、ある旅人に近道を教えられ、またも裏をかくことに成功する。途中の農家でメイド兼性奴隷とされたアボリジニ少女に出会ったり、空腹と疲労から仲違いしたり、グレイシーの母の居留地を教えられて動揺したり…‥彼女達の苦難は続く。逃亡2ヶ月が過ぎた頃、モリー達は追っ手も引き返すような危険な砂漠地帯に差し掛かる。フェンスも壊れ、砂に消えてしまっていた。それでもモリーは最後の気力を奮い起こし、疲れきったデイジーを背負いながら、荒涼とした道なき道に踏み込んでゆく。果たして彼女達の運命は…‥?

この説明文のような「重い」映画でした。

先日、知里幸恵と「アイヌの神謡集」のNHKの番組を見たので

オリンピックで活躍するオーストラリアの水泳選手の歴史を思い出しました。

もちろん、アメリカも中国も日本もこのような重い歴史を抱えており

それをあれこれ正当化しなければ存在が不安になるのですね。

そのどれもが「自分の出自の正当性の物語」で事実とは違ったもの

それはあらゆる人に必要なものであり

ぶつかり合うものなのですね。