この時期
あちこちで山茶花が咲いている。
秋から冬を代表する花ですね。
この花が山茶花かどうかはわかりません。
「しずかといえばしづか、さびしいと思えばさびしい生活だった。」
山頭火は「鉢の子」の序としてこのような表現をしています。
山頭火の俳句は定型を打ち破った爽快さがあるのですが
「これいいね」と思われるものは案外少ないように思えます。
もちろん専門家や評論家ならあれこれ言うのでしょう。
もちろん、好きな句もありますし
印象的な俳人です。
でも、私には肩透かしなのですね。
これは、素人だからいえるかもしれません。
切捨ての爽快感に影があったり
美的潔さが感じられないのです。
いい調子かなと思って
読み直すと、妙に技巧的であったり、細工があったり
ときには説明的ですね。
ストレートに伝わってくる感動が乏しいのですね。
なぜか、彼の破壊的な日々のエピソードの方が俳句的であるように思えるのです。
でも、朝、トイレに持ち込む本の一つです。
私の好きなのは
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」ですね。
でも、これって俳句的ではないですね。
この外れたぬくもりがお気に入りなのです。
あちこちで山茶花が咲いている。
秋から冬を代表する花ですね。
この花が山茶花かどうかはわかりません。
「しずかといえばしづか、さびしいと思えばさびしい生活だった。」
山頭火は「鉢の子」の序としてこのような表現をしています。
山頭火の俳句は定型を打ち破った爽快さがあるのですが
「これいいね」と思われるものは案外少ないように思えます。
もちろん専門家や評論家ならあれこれ言うのでしょう。
もちろん、好きな句もありますし
印象的な俳人です。
でも、私には肩透かしなのですね。
これは、素人だからいえるかもしれません。
切捨ての爽快感に影があったり
美的潔さが感じられないのです。
いい調子かなと思って
読み直すと、妙に技巧的であったり、細工があったり
ときには説明的ですね。
ストレートに伝わってくる感動が乏しいのですね。
なぜか、彼の破壊的な日々のエピソードの方が俳句的であるように思えるのです。
でも、朝、トイレに持ち込む本の一つです。
私の好きなのは
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」ですね。
でも、これって俳句的ではないですね。
この外れたぬくもりがお気に入りなのです。