あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

花菖蒲気配気にせず咲きにけり  あきオジ

2012-06-16 06:50:45 | 日記
昭和記念公園の紫陽花です。
この時期
凛とした姿に圧倒されませす。
でも、堂々としていて「しみじみ」は薄いですね。

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意味をうみ物語となる夕餉哉  あきオジ

つじつまはどうでもいいと語り合い  あきオジ

(自分以外の存在を気にしないと句が作れないのが素人なのですね。放哉の句を読むと、その辺りのこだわりを感じますね。そこ辺りが見えて来ると俳句も面白く成るかもしれませんね。でも、そんな気はありません。暇つぶしが私にはいいのかもしれません。入れ込むと逆に何も見えなくなってしまうのです。)

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我も死して碑に辺せむ枯尾花  蕪村

(当然、碑は「芭蕉塚」です。江戸時代芭蕉の評価は高かったのでしょう。周囲が評価を固めると、素人があれこれ言えませんが、芭蕉だけではないだとうと思ったりもするのです。きっと、捨て去ったもの、あるいは子規が評価しなかった俳人の句も素敵なものがあるのでしょうね。)

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体裁を気にせずわめく同窓会  あきオジ

許される思いもなくて微笑する  あきオジ

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雲の山螺子のごとく登り切り  あきオジ

2012-06-16 06:23:10 | 日記
花菖蒲の季節は花菖蒲を楽しむのがいいですね。
ない物ねだりはしません。
満開もよし、終りもよし
それぞれを楽しむ
それは覚悟のような気がします。

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春すぎて休業中の札のまま  あきオジ

線香と説教だけが消え去りて  あきオジ

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手を打てば木霊に明くる夏の月 芭蕉

五月雨は滝降り埋むみかさ哉  芭蕉

(芭蕉の「素材」の組み合わせ方は「さすが」ですね。兜ときりぎりす名月と田ごとの月。どれもこれも意表をついており、それでいて「なるほど」と納得してしまう響きがありますね。その組み合わせが先にあったのかもしれません。芭蕉の句では、それが必要なのでしょうね。それぞれの俳人にとって、それぞれのスタイルがあっていいですね。)

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曲がり角薔薇のかおりが消えるころ  あきオジ

2012-06-16 06:09:01 | 日記
いつの間にか薔薇の存在も忘れてしまいます。
あれだけ「待っていたのに」

でも、美しいときだけ目を向けるはバラだけでないのです。
このように上手に世の中回っているのです。

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説教を終わりし坊主も風呂に入る  あきオジ

何もかも枯れておわるものなりて  あきオジ

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わんとはし持って来やれと壁をぶち  柳多留

(時代をえぐる巧みさを知るためは川柳が楽しいですね。難解なことが多く、読むのに苦労しますが、柳多留は岩波文庫で出ているので手元になります。浮世絵が再評価されて復活したように、下世話な題材をとりあげた川柳やその類が再評価される時期が来るかもしれませんね。今の時代の「大家」と言われる俳人も消えるでしょう。そして再評価された俳人が登場するでしょう。それは間違いありません。)

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週末であることも忘れて読経聞く  あきオジ

2012-06-16 05:53:16 | 日記
神代植物公園にでかけたときは
深大寺に立ち寄るのですが
読経の声が聞こえ
手を合わせている信者の後姿を見るのですが

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死のしづけさは晴れて葉のない木  山頭火

(死を正面から受け止める句もいいですが、本当は、ひらがなことばで、軽い表現の句が好きなのです。)

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あこがれも花菖蒲となり咲きしころ  あきオジ

露地裏に職人暮らす木槌音  あきオジ

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先達になりて語りし遠い夏  あきオジ

2012-06-16 05:42:02 | 日記
紫陽花の季節になりましたね。

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孤(みなしご)の我は光らぬ蛍かな  一茶

(人生の屈折を一茶ほど率直に句にした俳人は多くないでしょうね。本音を語らず、孤高を保つ。その潔さこそ日本人の美意識の中心なのですからね。)

秋風にふいとむせる峠かな  一茶

(江戸時代以前にもあった言葉なのでしょうか「峠」という響きには特別なものがありますね。今は通過点の意味合いしか伝わりません。)

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あれこれをないまぜにする番茶あり  あきオジ

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黒猫が迷惑している昼寝なり  あきオジ

2012-06-16 05:30:00 | 日記
絵を描くことだけは退屈しないで続いています。

このごろは何もかも「どうでみいいか」というところですね。
年を取ると自分で想像できなことに遭遇するものです。
「自分の信条に基づき」などというのは、若いころの戯言ですね。

容易に老いに振り回されています。

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本降りに成つて出て行く雨宿り  柳多留

(このごろは都市部では「雨宿り」はしませんね。笠が容易に手に入ったこと。しかも、安い。天気予報も精度が高くなったので、折りたたみ傘を準備することが気にならなくなりました。哲学する時間も同時に削られてきました。それでいいのかもしれません。)

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うねりそして膨張続ける影があり  あきオジ

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