あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

猛暑なり記事なき朝をむかえけり  あきオジ

2012-08-09 06:03:00 | 日記
俳句する気分もなくて西瓜食い  あきオジ

猛暑なり餃子定食食いまくり  あきオジ

おさまりのつかない若者暑気払い  あきオジ

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繰り返す
その繰り返しの中に発見があるような気がします。
繰り返しを止めてしまったら
何も見えてこない。

そんな気がします。

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素人は専門家を求めてはいけないし
上手になることを求める必要はない。

「下手うま」で「まあ、いいや」ですね。
上手になることを避けるくらいの厚かましさがちょうどいい。

そんなことを思います。

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予の方寸の上に分別なし。 芭蕉

(芭蕉百名言」という文庫本をもっています。ときおり開きますが、ほとんど理解できません。ただ、芭蕉だって、あれこれ小理くつがって俳句を作っているのではない。それだけは分かります。)

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今日もまたあるものだけで始めましょう  あきオジ

葡萄くうためらいもなく休まずに    あきオジ


蓮ひらく普賢菩薩が鎮座する  あきオジ

2012-08-09 05:39:44 | 日記
ともかくも続けることに意味を見つけましょう。
そんな気分です。
あと10年厚かましくしたとします。

自分の生きてきた足跡を大切にしたいと思えば
ぼちぼち俳句作るのが「てっとりばやい」のです。

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おほらかに鶏なきて海空から晴れる  放哉

考え事して橋渡りきる  放哉

(放哉といえば「ひとり」と「・・・・きる」の語法ではないでしょうか。そんな気がします。何句か読むと、独特の「寂寥感」が溢れて来るのですね。そんな句も珍しいですね。「胸が痛い」そんな感想さえもちます。)

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バランスのとれた、教養のある人の上手な句ならいっぱいありますし、そのような作品を残している人もいますが、それだけでは十分ではないのですね。そんな気がします。そのような句は芭蕉、蕪村で頂点にたどりついているのです。今の時代は「乱調」と「しみじみ」。そんな気がします。

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いいなりになって道断つ子のありて あきオジ

藪の中犯人探しのおお騒ぎ  あきオジ

いつの世も時が納める砂丘あり  あきオジ

よりごのみ許される世を生きました  あきオジ

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桔梗咲きしみじみあふれる丘にたち  あきオジ

2012-08-09 05:24:12 | 日記
昭和記念公園の桔梗です。

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日本人には「しみじみ」が隠し味として準備されていないと落ち着きが悪いのですね。
仏教思想なのか、神話の影響なのか分かりませんが
「始まるものは終わる」「できあがったものは崩れる」という背景がないと十分ではないのですね。

そいうことは、この「しみじみ」を取り込めばそれなりの句になるということなのでしょうが
素人にはそうはいきません。

とりあえず、五・七・五だけ整えることにしましょう。
それで精一杯です。

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百合消えてなにごともなき道になり  あきオジ

ときをまち桔梗咲きたる井戸のそば  あきオジ

酔いながら帰宅迷いの妻子持ち  あきオジ

向日葵やどうにもならない迷い道  あきオジ

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だんだん、「数多く作る」こともしんどくなりました。
このような微妙なところにも加齢による気力の衰えを感じますね。

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秋谷の戸ごとに怒鳴り酔っ払い 金子兜太

(このような洒落た繊細な感性の俳人なら咲ける素材を骨太に表現するのが兜太の魅力なのでしょうね。)

肉体衰えるや窓に鴎の背中見えて  金子兜太

犬の睾丸ぶらぶらつやつや金木犀  金子兜太

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