あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

山茶花の玄関先にはがきあり   あきオジ

2010-11-27 20:17:02 | 日記
子を捨つる藪さへなくて枯野哉  蕪村

(蕪村の句としては珍しい内容の重さですね。)

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俳句を読んでいて気になるのは、恋の歌はあるけれど
結婚した夫婦を題材にした句が見当たらないこと
そして、子の誕生を扱った句に出あわない
不思議ですね。
でも、理由があると思います。
いつか確かめておきたいですね。

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振り返り見るうれしさよいちょう散る  あきオジ

2010-11-27 18:13:09 | 日記
わらの火やへらへら雪はふりにけり  一茶

(いかにも一茶という感じですね。でも、わざとらしいというか、厭味な表現ですね。私はそう思います。個性でもなければ趣向でもない、単なる奇をてらっているだけ。そんな気がしますが、それでも、表現の面白さはありますね。一茶も俳諧の師匠として生きていくために、素人相手にあれこれ考えたのでしょうね。)

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なにもない空にもみえぬありがたさ  あきオジ

2010-11-27 18:08:29 | 日記
お天気よすぎる独りぼつち  山頭火

(天気がいい。申し分なくいい。そんなとき、一人ぼっちはよけい孤独なのでしょうね。いろいろと楽しみの幅をもっていた人とも思えません。それだけに、思いを推し量るのは難しいですね。私の寂しさが山頭火の寂しさと同じではあろうはずがありません。)

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東京とはいえ、今の時期
武道館も北の丸公園も人が少ないですね。
でも、もう、桜が懐かしい季節なのですね。
本当には年をとると一年が早いですね。

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朱に染まるわけも聞かずに秋がすぎ  あきオジ

2010-11-26 17:26:52 | 日記
昭和記念子園の紅葉です。
きのように美しくなるのは
どのような理由からでしょうか
私はきりんの首が長いのと同じで
「そうなれ」と願ったことによるものだと思うのです。
科学的に説明がついたとしても
私にはやはりキリンは必死になって「首が長くなれ」と願ったから
そうなったと思うのです。
そのような物語があった方がいいですね。

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御仏の御鼻の先へつらら哉  一茶

(一茶の卑俗的な言葉が「天性の才能」から生まれたのではなく、計算づくの作為から生まれたと思うのです。一茶も芭蕉になりかたった。しかし、すべてが二番煎にしかならなかった。いくらでも芭蕉程度の句なら作れた。でも、作らなかった。そう思うのが自然ですね。芭蕉を裏切りたかった。そう思ったからそうなった。そんなものではないでしょうか。)

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セーターを着込み
マフラーの人が増えましたね。
猛暑を嘆いたのもつい最近のような気がします。

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流れゆく水滔々と秋の海    あきオジ

2010-11-26 06:41:33 | 日記
昭和記念公園の今年最後の輝きですね。
滅びゆくものはすべてを燃やしてしまう。
それだけに美しい。

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しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮  芭蕉

秋風や藪も畠も不破の関   芭蕉

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芭蕉の俳句は、換骨奪胎して再構成された美意識が背骨なのですね。
蕪村もそうです。
ですから、リアリティーを求めるのはちょっと違うかな
そんな感想を持ちます。
本当ではないけれど
もっと、本当らしい。
そんなことかもしれませんね。

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