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最近は「勢いもなく」「気もちの動きもなく」どこを叩いても言葉が浮かんできません。
芭蕉のように現地で作った草稿を繰り返し構成しなおし
言葉を選び、動きをつけるために新しいものを持ちこんだり
そんな作業をする楽しみももてず
すべてを「まあ、いいや」にしてしまいます。
それにしても、半年前「あれこれいうなら作ってみたら」というコメントをいただいたのが
きっかけでした。
「とりあえず」で始めましたがここまできました。
あと半年は続けてみようか
そんな気持ちです。
まだ、日々、俳句を考えながら生活している段階ではなく
パソコンに向かったとき考え始めます。
写真を撮ってきたときは
その写真を撮っていたときのことを想起して作ります。
何も考えず、出てきた言葉から俳句らしく形づくる。そのな手法です。
来年はしっかり、補修をしながら作るようにしたいですね。
でも、このままのスタイルでいきそうです。
古句を見ることは楽しいですね。
今のところ「一茶」「芭蕉」「蕪村」「山頭火」「放哉」「金子兜太」を主として取りあげていますが
人間臭さが見えてくると一茶と山頭火が面白いです。
「芭蕉」や「蕪村」はレベルの高い人の美学中心で考察するのにはいいかもしれませんが
人間を見ようとするときには多くの素材を提供しているようには思えません。
その段階が見えるまで辛抱です。
俳句というのは面白いもので作者は膨大な作品を作り出します。
ですから「○○句集」と称する本では
選者によって取りあげる句が違っています。
そこが面白いですね。
ですから、全句集などという重たいのものではなく
「○○句集」を開くと、取りあげ方がいろいろです。
一茶を担当した金子兜太の解説などは楽しいですね。
私は岩波とか小学館とかで出している「○○古典文学全集」を何種類か手に入れ
活字の大きいものを利用しています。
この全集のバラ売りされたものは1000円以内で手に入りますのでいいですね。
それを今日はこの本明日はこの本と違った種類を選びながら
句を探します。
その作業が楽しいですね。
もちろん、電車の中などは最高ですね。
そんなことで今は「俳句なれ」の段階です。
それと「止めない」ようにする段階です。
気まぐれな私のこと
いつどのようにひっくりかえるかわかりません。
でも、続ければ何かが見えてくるような気がしますし
何人かの俳人の「追っかけ」をすれば面白いような気がします。
何人かの現代俳人にも挑戦しようと試みましたが、
まだ、早すぎたようです。
きっと、このブログを開いている人の中にも
相当の実力者がいるのでしょうね。
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降ったり照ったり死場所をさがす 山頭火
(最近、山頭火の言葉の選び方、並べかた、そして、語調になれてきて、定型が気にならなくなりましたね。むしろ定型が内容や配置まで固定してしまい、面白くないと思うこともあります。「馴れ」って不思議ですね。)
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