あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

落ちもせずただ揺れている濡れ紅葉  あきオジ

2010-11-22 16:18:42 | 日記
昭和記念公園のサザンカです。
昭和記念公園では掃除していい花弁と
そのままにしておいた方がいいものと
仕分けて管理しています。
銀杏はしばらくはジュータン状態にしておくのでしょう。

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雨の傘たてかけておみくじをひく  放哉

昼の蚊たたいて古新聞よんで  放哉

(いかにも一人。別の言い方をすれば「することもない」し「したくもない」退屈そのもの。そんな感じですね。)

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雨の中、街を歩きました。
町中はすっかり夏が終わり
冬の服装ですね。
滑りやすく歩くことにも臆病になりました。

紅葉葉もやがて散り去るときがあり  あきオジ

2010-11-22 06:34:23 | 日記
美しければ人は振り返るけれど
ない紅葉を振りかえることはない。

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時代劇を見ていて不思議なことは
時計がないのに待ち合わせの場所を指定していることです。
どうやって時間を知るのでしょうか
すくなくとも3時15分に逢いましょうなどという約束はできなかったのでしょうね。
どうでもいいことですが気になることです。

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こころおちつけば水の音  山頭火

月からひらり柿の葉  山頭火

何おもふもなく柿の葉のおちることしきり  山頭火

(昭和11年の句です。柿の葉には死を思う不思議な力があるのかもしれません。)
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平らなる池に重なるもじみかな  あきオジ

2010-11-21 19:02:10 | 日記
紅葉が散っているのです。
苔むしたところに散っている風景
その美しい色合いがいいですね。
これで昭和記念公園は長い冬眠のような日々になるのです。
寂しいですね。

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雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ  山頭火

誰か来そうな雪がちらほら  山頭火

(来年になったら、時代を追うとか、日記を併記するとか思ったりもしましたが、止めました。ただただ無秩序に気まぐれに読み続ける。それがいい。研究者になるつもりなど最初からなかったし、これからもない。我がままにそして、気楽に楽しむのがいい。)

紅葉散り読経流れる深大寺  あこオジ

2010-11-21 18:51:18 | 日記
皇帝ダリアが精いっぱい背伸びしています。
背をかがめて寒風が抜けるのを待つ。
そんな生き方が似合うようです。

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我がでに我を招くや秋の暮  蕪村

(自分で自分を手招きしてみる。秋の夕暮れのものさみしさに。そんな訳がありました。)

木曽路行きていざとしよらん秋ひとり  蕪村

(一人であること。これが俳句の原型なのですね。家族仲良くとか、定住して幸せでしたというような文脈の句は見かけませんね。一人きりの寂しさに懸命に耐えている。一人でいることを受け入れるのは辛いけれど、それしかない。そんな意味合いの句が圧倒的に多いですね。現代作家の場合は、「貧しく」「悲しい」を想定して演じていることが多いのですが、山頭火などは、どの範疇に入るのでしょうかね。)

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大輪の菊がふるえる鐘の音 あきオジ

2010-11-21 18:48:04 | 日記
神代植物公園では菊の展示会が行われていますが
一週間のために丹精を込めるのですね。
ご苦労様です。

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我菊や形にもふりにもかまわずに  一茶

(我が菊とは妻の菊をさしていると思うと「なるほど」ですね。)

猫の子がちよいと押へるおち葉かな  一茶

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「生きている」落葉の森はありがたき  あきオジ

2010-11-21 05:35:04 | 日記
雪降る其中一人として火を燃やす  山頭火

(金子兜太は「放浪行乞」の中で「内奥の火をたやすまいとしていう心意の句とみて間違いない。」と解説しています。そのようにも読める。でも、それは出家者としての覚悟のしかたについての見方であり、酒がどこからも届いていない程度の不満ともよめる。其中とは、山頭火が暮らした庵です。)

「旅に出た、どこへ、ゆけるところまで。旅人山頭火、死場所をさがしつつ私は行く、逃避行の外の何物でもない」

(日記の中の一文です。覚悟の大きさ、それもあるし、そうはいかない現実もある。それを承知したのでしょうかね。この句を作った年、2・26事件が勃発している。)

秋の朝団子ですごすそれもいい あきオジ

2010-11-20 18:51:21 | 日記
涼風や何喰はせても二人前  一茶

(菊女の出産のときの句なのですね。そのまんまの句です。そんな「ありのまま」が一茶であり、魅力ですね。)

一吹の風も身になる我家哉  一茶

(一茶は父親の遺産分割の調停により田畑や家の半分を手に入れています。弟がどうのこうのということではなく、一茶の方が強引だったと思えるようなことになっているような気がします。それほど信州は貧しいところだったのでしょうかね。)

あの月をとつてくれろと泣子哉  一茶

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万葉集を読むときは緊張します。一読しただけでは意味が読みとれないからです。
解説を読んで「なるほど」になるのですが、それでも、解説がなければ輪郭さえつかめないのです。

俳句の時も同じです。
日記が添えられていると何とか見当がつくのですが
それがないと俳句だけでは想像もできないのです。
補助的な情報がないと理解できないのでは困りますね。

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秋なのに返信メールの味気なさ  あきオジ

2010-11-20 18:41:53 | 日記
涙なし蝶かんかんと触れ合いて  金子兜太

(兜太の句は相変わらず言葉の空間を埋めることができません。そして、異質な言葉が私の中ではちっとも化学反応しないのです。まあ、それまでのことです。嫌になったら捨てればいいのですから。まあ、そう慌てないで読み続けましょう。それがいい。)

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返り花あからさまなる梢かな  放哉

(出家前の句ですね。技巧的ですし整っている。そんな印象です。素人の感想ですから、あてにはなりませんが、そんな感じです。でも、そんなことを思うと、放哉はこのような技巧的に正統な方法をどうして放棄したのでしょうかね。不思議です。きっと、心の波長が正統的な語調では馴染まなかったのでしょう。)

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