平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1186 武力で解決しないこと  

2018-06-26 10:46:32 | 日記
       平和への希い1186 戦後73年 
    武力で解決しないこと  2018.6.26.
6月23日は、73年前(1945年)に、唯一地上戦に巻き込まれた沖縄で、県民の4人に1人が死亡し、
日米双方合わせて20万人以上の死者を出した、太平洋戦争末期の沖縄戦が終結した日。
(陸軍司令官が自決、組織的な戦闘が終結した日。正式の終結は、降伏調印した1945年9月7日。)
沖縄の中学3年生相良倫子さんが、追悼式で朗読した平和の詩「生きる」、
「平和とは、当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせていきること」と、
平和への思いと、未来の平和を自分たちが築いて行く覚悟をまっすぐな言葉でつづった
、との報道記事に感動
すると同時に、戦争の残酷さ、残された人の心の癒されない傷、戦争では物事の解決はできないこと、を
つくづく思い、「戦争を絶対起こしてはいけない」と言い続けることの大切さを確認させられました。
戦後73年、戦争の残酷さ、バカバカしさを体験した人々が少なくなり、「不戦こそ平和」を心から訴えること
が出来る人はどんどん減って行きます。
抑止力のためと言い募り、「武力で紛争解決はしない」という憲法9条を捻じ曲げ、集団的自衛権で国民を戦争
に巻き込む方向に、更に憲法9条を改悪して、「武力で紛争解決をする」方向にまい進する安倍政権。

天皇が皇太子時代初めて沖縄をご訪問、慰霊された1975年、火炎瓶を投げ付けられました。
その夜、談話で、「火炎瓶事件」の裏にある沖縄県民の気持ちをご深慮され、
「私たちは、沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来に
つなぎ、ともどもに力を合わせて努力していきたいと思います」
と、
お話になり、その後も、沖縄への慰霊のご訪問を続けられたのです。
天皇家の皆様は、太平洋戦争が与えた内外の人々への惨状を、国内での沖縄戦の悲劇、広島・長崎の原爆、日本
各地の大空襲など戦争の残酷さなどをご深慮され、「平和への強い思い」を世界に発信されていらっしゃいます。

日本は、世界がどのように激動しようとも、絶対に「武力で物事を解決してはいけない」ことを主張し続ける
ことこそ、太平洋戦争で多くの犠牲を出した責任を果たすことになると思うのです。

ウォーキング中に出会った花々です。ベランダのトマトの花も。

6月26日「今日は何の日カレンダー」より
国連憲章調印記念日(国連)、国際麻薬乱用撲滅デー(国連)、雷記念日、露天風呂の日(岡山県湯原町)、
ふろの日(毎月)
▲平城京の清涼殿に落雷(930)▲松前藩領の函館周辺を上地する(1854)▲日米直通海底有線電話開通(1906)
▲東京・丸の内の三菱21号館、エレベーターつき初貸しビル(1914)▲国際連合憲章に50カ国以上が調印。
国際連合の設立決定(1945)▲マッカーサー元帥『アカハタ』の1ヶ月停刊を指令(1950)▲最高検、ロレンス
『チャタレー夫人の恋人』押収 (1950)▲日本初のオリエンテーリング大会高尾山「徒歩ラリー」名で(1966)
▲小笠原諸島、23年ぶりに日本復帰(1968)▲国土庁発足(1974)▲日本初の比例代表制選挙(1983)
露天風呂の日(岡山県湯原町)、ふろの日(毎月)