平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2717 傘寿祝賀会

2022-10-05 10:09:18 | 日記

昨日は、高校の同期会が、東京・千代田区にある如水会館で、行われた。

コロナ騒ぎで、40年超続いている同期会は、2年間行われなかった。

昭和17年4月~18年3月生まれがメイン。91人の同期生が亡くなっている。

一学年、433人、9クラス、男子校だったが、4人の女性が同期にいて、男女共学のはしりだった。

幹事組は、持ち回りで、今年は、5組。地元長野在住の同期数人が、同期会旗を持って参加、関西支部同期会からも

数人参加し、総勢45人。コロナ前には、60~70人参加だったが、3年間は、高齢者にきつかった。

今回は初めて、介護を必要な同期のために、介護同伴もOKとし、1組の出席があった。

3年前の同期会以降亡くなった人たちに、黙祷してご冥福を祈り、開会。

今年は、傘寿に、なった人、これからなる人の、記念すべき同期会ということで、傘寿になられた、人間国宝の

「能楽師津村禮次郎さん」に祝賀奉納「屋島」を舞って頂き、一緒に懸念撮影しました。

お決まりの、県歌「信濃の国」、校歌、応援歌を蛮声ならぬ、「晩声」で、まずまずの盛り上がりでした。

「オー、お前まだ生きていたか」なんて冗談を飛ばし、歓談、健勝を讃え合いました。

今回の出席で、一番多かったのが、私のクラス、7組の10人(うち、奈良から2人、兵庫から1人)。

次回は、6組が幹事組ですが、有力者が亡くなったり、病気ということで、今回2人しか出席出来ず、6組

からの要請で、私達7組と6組の合同で、幹事をすることになった。

寄る年波とは言え、3年振りに会った、面々は、確実に、老いに向かって進化(?)、介助必要、杖必要、

腰曲がり、痩せすぎ、の状況を見ると、次回の出席が危ぶまれる。

高齢化社会の縮図の中にいることを、痛感したけれど、久し振りに会った、口撃と笑顔に、お互い元気づけ

られ、77年戦争も無く、平和のうちに、生を全う出来る幸せを、次の世代、その先々の世代にも、バトン

タッチしなければと、老骨に鞭打って、出来る努力をしなければいけないと思った次第です。

乾杯の音頭、フレーフレー長野、久しぶりの東京など

 

10月5日「今日は何の日カレンダー」より 時刻表記念日
▲パリ庶民数千人がヴェルサイユに行進し王宮に乱入(1789)▲東京音楽学校開校(1887)▲初の時刻表出版(1894)
▲立教大学登山隊、日本人初のヒマラヤ登頂成功(1936)▲服部時計店クォーツデジタル腕時計を発売(1973)
▲銀座と新宿で土曜歩行者天国(1974)▲山口百恵、日本武道館でラストコンサート(1980)▲ポーランドのワレサ

「連帯」委員長にノーベル平和賞が授与(1983) ▲ダライ・ラマ14世にノーベル平和賞(1989)▲小渕再改造

内閣発足(1999)▲ロト6第一回抽選(2000)▲阪神のマット・マートン イチローのンシーズン最多安打記録

210本を更新(2010)▲カズオ・イシグロにノーベル文学賞(2017)