先日のNHKスぺシャルで、国連の安全保障理事会の「拒否権」について、何故できたか、など報道されて
いました。
プーチンロシアが、ウクライナ侵略戦争を、国際連合の安全保障理事会で、即時停止を決議され、「拒否権」
を発動し、国際連合の機能マヒを招いて、世界平和の根本が揺れています。
第一次世界大戦後に、戦勝国中心に出来た国際連盟。
この時日本も戦勝国側で、国際連盟の、常任理事国だったが、「満州から撤退せよ」との決議に、日本は、
「話し合いの場」から退場し、国際連盟から脱退した。
この時は、「拒否権」はなく、「国際連盟」という、「話し合いの場」から抜けて、日中戦争、太平洋戦争と
暴発、何百万人もの命を奪う、最悪の人災となった。
この反省から、第二次世界大戦後、戦勝国中心にできた「国際連合(国連)」では、「話し合いの場」から、
出てしまえば、話し合いでの紛争解決の道は閉ざされてしまう、ということで、戦勝国の有力国を、安全
保障委員会の常任理事国として、「拒否権」を認め、兎に角、「話し合いの場」から抜けないで、話し合い
を続けることが出来るようにした、のです。
「拒否権」は、話し合いを続けることが出来るための、「安全弁」として考えられていたのです。
狂想のプーチンは、世界の平和を最優先で考え、行動すべき、国連・安全保障委員会の常任理事国の責任を、
理解できない、かつてのヒトラーや、ムッソリーニ、東條英機のように、強国ロシアの妄想に憑りつかれた
利己主義者になってしまった。
「拒否権」が、国連機能マヒの悪者にされがちですが、プーチンのように、「拒否権」を間違った理解で、
使い、無視する、人間が悪いのであって、「拒否権」が悪いのではないのです。
国連・安全保障委員会の常任理事国は、米英仏の民主主義国と、中ロの強権国で、お互いに「拒否権」を
振り回して、世界平和が揺れ動いています。プーチンだけの問題ではないのです。
国連・安全保障委員会の常任理事国が、
「寛容を実行し、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するために、我らの力を
合わせる」という、責任を果たさなければ、人類の未来は無くなります。
昨日、写真取り込み出来なかった、15日の、百歳体操練習風景も。
10月17日、「今日は何の日カレンダー」より 貯蓄の日(貯蓄増強中央委員会)
▲「吾妻鏡」完成(1775)▲ショパン没(1849)▲学習院開設(1877)▲横浜で水道(1887)▲スエズ戦争勃発(1951)
▲「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀死去61歳(1967)▲川端康成ノーベル文学賞受賞(1968) ▲アラブ石油国
機構が原油生産削減を決定、第一次オイルショックの発端(1973)▲サンフランシスコで大地震(1989)
▲ハロウィンで訪問した米国留学中の留学生が、射殺される(1992)▲栃木5億円強奪事件(2004)▲ロッテ
マリーンズ31年振りリーグ優勝(2005)▲米議会が、ダライ・ラマ14世に名誉黄金勲章授与(2007)