城郭 長谷川博美 基本記録

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滋賀県長浜市本庄町 芦柄神社 訪問

2019-07-23 18:26:37 | 比較研究論
滋賀県長浜市本庄町 芦柄神社 訪問
 金太郎伝説を訪ねて長浜市本庄町に鎮座する芦柄神社を訪れた。
芦柄神社と書いて (アシガラ神社)と読む。
御祭神は大年神 火結神 と言う事らしい。

社伝によれば、寛平五年(893年)菅原道真の勧請により建てられた社と言う。、天台奥堂の鎮守神
となっていた。しかし後世において本庄町の産土神とし今日に至っている。とある。

宮相撲の奉納が注目される。明治維新までは、遠く伊勢・美濃・越前等の国から力自慢の若者が参加して力や技を競い、祭礼を盛り上げた。 現在では若者の姿は見られず、近郷近在の小学生が日頃の技と力を発揮して、祭りを一段と盛りあげている。とある。

◆追記 滋賀県長浜市余呉町中之郷西天神考
 私の母方は西天神に関わる家系である。現地には夜泣き石や近辺には金丸、大門などの地名
が残っている。金丸は製鉄に関する地名かもしれない。なお当地に佐々成正の先祖余語氏が
いたとも言われるが詳らかではない。戦国大名佐々氏が梅鉢紋を使っている事も注目される。
また天神社と言えば余呉では菅山寺が有名であるが当寺の一切経の存在は有名である。また
一切経を保管する職掌を「東蔵職」と言う。越後畠山氏が余呉湖畔に来訪していた文献は知られている。
また西天神古余呉湖畔に「エレの宮」がありそれは現在の滋賀県長浜市中之郷の
鉛錬比古神社「式内社」と思われる。この中之郷鉛錬比古神社も氏子中には奉納相撲がある。
余呉坂本西三郎はこの西天神に関わる家系で中世には坂本から中之郷に日吉神社を勧請している。また余呉町坂口に「道場」神敬坊を設立しやがて寺院へと発展し木之本の妙楽寺へと発展したとされる。天台、日吉、真宗、坂本、流れの伝承系譜かと思われる。


◆滋賀県長浜市本庄町の天台奥堂考
寛弘年間(1004~1011)に本庄寺と称する天台宗の寺院があり、権少僧都普賢がこの付近(現長浜市本庄町 西黒田地区)に立ち寄り、その奧堂に留錫(りゅうしゃく)した事に始まるとされる。現在、天台奥堂は芦柄神社となっている。西黒田金太郎伝説の地と思われ興味深い。
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近江 穴津

2019-07-23 03:24:29 | 古代史
近江 穴津
 前回の小説仕立てのブログ記事で滋賀県長浜市高月町東高田の「穴津」地名を指摘
したが、この地名は古代及び中世の歴史を考察する上で大変重要な地名と考えられる。


なぜならば近江滋賀郡の穴太に存在したとされる神代の三帝の宮都「高穴穂の宮」や
アメノヒボコ、伝承に登場する近江各地の「アナ」地名との因果関係の考察や製鉄に
関わる伝承も含めて今後この「穴津」地名は重要と考えられるからである。今や内陸

となった近江塩津の丸山古墳や長浜市の津の里にある若宮古墳、近江最大級の瓢箪山
古墳の宮津地名、そして日夏の荒神山古墳などは鄙津「ひなつ」の転訛とも考えられ
古代豪族と「津」港湾支配と拠点を連想させる語彙や文言でもある。近江八幡の津田
地名と八王子古墳などの関連性も含めて検討されるべき論題ではなかろうか?

 また近江伊香郡の黒田郷や北布施集落。近江坂田郡の西黒田郷の布勢にある穴伏せ
地名など古代息長氏の系譜を引くと考えられる坂田氏。坂田氏から分流した上坂田氏
=「上坂氏」下坂田氏=「下坂氏/下坂鍛冶関連」そして近江佐々木源氏が君ケ畑の
金鉱を坂田氏に探らせた伝説などがあり興味深い。また坂田郡には倭姫の逗留地たる
坂田の宮が存在したとも伝えられる。坂田郡「長浜市」布勢にある布勢にある古墳は
後期に属すもその出土遺物の記録には目を見張るものがある。


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