滋賀県長浜市本庄町 芦柄神社 訪問
金太郎伝説を訪ねて長浜市本庄町に鎮座する芦柄神社を訪れた。
芦柄神社と書いて (アシガラ神社)と読む。
御祭神は大年神 火結神 と言う事らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/25/c52f15370679eec9efcc7d58fd330390.jpg)
社伝によれば、寛平五年(893年)菅原道真の勧請により建てられた社と言う。、天台奥堂の鎮守神
となっていた。しかし後世において本庄町の産土神とし今日に至っている。とある。
宮相撲の奉納が注目される。明治維新までは、遠く伊勢・美濃・越前等の国から力自慢の若者が参加して力や技を競い、祭礼を盛り上げた。 現在では若者の姿は見られず、近郷近在の小学生が日頃の技と力を発揮して、祭りを一段と盛りあげている。とある。
◆追記 滋賀県長浜市余呉町中之郷西天神考
私の母方は西天神に関わる家系である。現地には夜泣き石や近辺には金丸、大門などの地名
が残っている。金丸は製鉄に関する地名かもしれない。なお当地に佐々成正の先祖余語氏が
いたとも言われるが詳らかではない。戦国大名佐々氏が梅鉢紋を使っている事も注目される。
また天神社と言えば余呉では菅山寺が有名であるが当寺の一切経の存在は有名である。また
一切経を保管する職掌を「東蔵職」と言う。越後畠山氏が余呉湖畔に来訪していた文献は知られている。
また西天神古余呉湖畔に「エレの宮」がありそれは現在の滋賀県長浜市中之郷の
鉛錬比古神社「式内社」と思われる。この中之郷鉛錬比古神社も氏子中には奉納相撲がある。
余呉坂本西三郎はこの西天神に関わる家系で中世には坂本から中之郷に日吉神社を勧請している。また余呉町坂口に「道場」神敬坊を設立しやがて寺院へと発展し木之本の妙楽寺へと発展したとされる。天台、日吉、真宗、坂本、流れの伝承系譜かと思われる。
◆滋賀県長浜市本庄町の天台奥堂考
寛弘年間(1004~1011)に本庄寺と称する天台宗の寺院があり、権少僧都普賢がこの付近(現長浜市本庄町 西黒田地区)に立ち寄り、その奧堂に留錫(りゅうしゃく)した事に始まるとされる。現在、天台奥堂は芦柄神社となっている。西黒田金太郎伝説の地と思われ興味深い。
金太郎伝説を訪ねて長浜市本庄町に鎮座する芦柄神社を訪れた。
芦柄神社と書いて (アシガラ神社)と読む。
御祭神は大年神 火結神 と言う事らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/25/c52f15370679eec9efcc7d58fd330390.jpg)
社伝によれば、寛平五年(893年)菅原道真の勧請により建てられた社と言う。、天台奥堂の鎮守神
となっていた。しかし後世において本庄町の産土神とし今日に至っている。とある。
宮相撲の奉納が注目される。明治維新までは、遠く伊勢・美濃・越前等の国から力自慢の若者が参加して力や技を競い、祭礼を盛り上げた。 現在では若者の姿は見られず、近郷近在の小学生が日頃の技と力を発揮して、祭りを一段と盛りあげている。とある。
◆追記 滋賀県長浜市余呉町中之郷西天神考
私の母方は西天神に関わる家系である。現地には夜泣き石や近辺には金丸、大門などの地名
が残っている。金丸は製鉄に関する地名かもしれない。なお当地に佐々成正の先祖余語氏が
いたとも言われるが詳らかではない。戦国大名佐々氏が梅鉢紋を使っている事も注目される。
また天神社と言えば余呉では菅山寺が有名であるが当寺の一切経の存在は有名である。また
一切経を保管する職掌を「東蔵職」と言う。越後畠山氏が余呉湖畔に来訪していた文献は知られている。
また西天神古余呉湖畔に「エレの宮」がありそれは現在の滋賀県長浜市中之郷の
鉛錬比古神社「式内社」と思われる。この中之郷鉛錬比古神社も氏子中には奉納相撲がある。
余呉坂本西三郎はこの西天神に関わる家系で中世には坂本から中之郷に日吉神社を勧請している。また余呉町坂口に「道場」神敬坊を設立しやがて寺院へと発展し木之本の妙楽寺へと発展したとされる。天台、日吉、真宗、坂本、流れの伝承系譜かと思われる。
◆滋賀県長浜市本庄町の天台奥堂考
寛弘年間(1004~1011)に本庄寺と称する天台宗の寺院があり、権少僧都普賢がこの付近(現長浜市本庄町 西黒田地区)に立ち寄り、その奧堂に留錫(りゅうしゃく)した事に始まるとされる。現在、天台奥堂は芦柄神社となっている。西黒田金太郎伝説の地と思われ興味深い。