ロックの原典 令和の原典 磨針峠の原典 そんなに浅いものじやない!
◆ロックの原典
若者が聞く音楽とされたロックミュージックの原典を探る事を。ルーツ、オブ、ロック
と言われている。ロックの根源とは如何にあるのか?ロック、アンド、ロールの原典とは
何か?簡単に述べてしまうなら白人の音楽と黒人の音楽が混ざり合った音楽で12小節基
調のブルースにある様にも思うのだがより深く根源を求めるならばアフリカ起源の音楽と
アイルランドを中心とするケルト音楽の融合だと言う人もいるだが、様々な人種の様々な
音楽が混ざり合いミックスされて現代に至るロックミュージックの世界の流があるようだ。
例えば私のように古い黒人ブルースシンガーを聞く者にとりレッド、ツェッペリンの楽曲
「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン / Nobody's Fault But Mine」は即
これは古いブルース曲でブラインド、ウイリー、ジョンソンの原曲だと即刻わかるはずだ。
ツェツペリンの当該曲はNobody's Fault But Mineを日本では『俺の罪』と見事な邦題
を付けている。日本人の海外文化の受容のありさまを見事端的に表している。
◆令和の原典
令和の元号の原典は当初『万葉集』の梅の花の歌三十二首の序文にある『初春の令月
(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)
を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』から引用され。確認される限り
において、初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)からの選定だとされている。と報道され
たが発表の数時間後に中国では「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡
「帰田賦・文選巻十五)」が原典と中国側から指摘され改めて漢学の深淵を日本人は知った。
『古事記』も『日本書紀』も『万葉集』原文は漢字で書かれている事を忘れてはならない。
◆磨針峠の原典
中山道磨針峠「 なかせんどうすりはりとうげ」の伝説は以下のようなものだ。
「道はなほ学ぶることの 難(かた)からむ 斧を針とせし人もこそあれ」
その昔、まだ修行中の弘法大師がこの峠にさしかかったとき、白髪の老婆が石で斧を磨ぐのに
出会います。聞くと、一本きりの大切な針を折ってしまったので、斧をこうして磨いて針にする
といいます。そのとき、ハッと悟った大師は、自分の修行の未熟さを恥じ、修行に励んだと言い
ます。その後、再びこの峠を訪れた大師は、明神に栃餅を供え、杉の若木を植え、この一首を詠
んだと伝えます。この後、峠は「摺針峠(磨針峠)」と呼ばれるようになりました。とある。
さてさて「道はなほ学ぶることの 難(かた)からむ 斧を針とせし人もこそあれ」の名言には
日本人ならだれでも感銘する名言であろう苦労難行を乗り越えた己の研鑚に努めた人こそ大成
すると言う。学業や向学心や研究者には一種の求道を感じさせる文言である。
ところがこの磨針峠伝説の名文にも中国の原典が介在しているのだ。
◆磨針峠伝説の原典は中国の『方輿勝覧』五三「磨針渓」です。
磨斧作針
読み方 まふさくしん
意味 惜しまずに努力し続ければ、困難なことでも必ず成就することのたとえ。
学問に挫折した若い頃の李白が帰郷するか悩んでいると、鉄の斧を磨いている老女を見かけた。
何をしているのか尋ねると「鉄の斧を磨いて針を作っている」と答えた。
老女の行動から努力・根気の強さを学んだ李白は学問に励むようになったという故事から。
↓長谷川博美「本人」↓
◆ロックの原典
若者が聞く音楽とされたロックミュージックの原典を探る事を。ルーツ、オブ、ロック
と言われている。ロックの根源とは如何にあるのか?ロック、アンド、ロールの原典とは
何か?簡単に述べてしまうなら白人の音楽と黒人の音楽が混ざり合った音楽で12小節基
調のブルースにある様にも思うのだがより深く根源を求めるならばアフリカ起源の音楽と
アイルランドを中心とするケルト音楽の融合だと言う人もいるだが、様々な人種の様々な
音楽が混ざり合いミックスされて現代に至るロックミュージックの世界の流があるようだ。
例えば私のように古い黒人ブルースシンガーを聞く者にとりレッド、ツェッペリンの楽曲
「ノーバディズ・フォールト・バット・マイン / Nobody's Fault But Mine」は即
これは古いブルース曲でブラインド、ウイリー、ジョンソンの原曲だと即刻わかるはずだ。
ツェツペリンの当該曲はNobody's Fault But Mineを日本では『俺の罪』と見事な邦題
を付けている。日本人の海外文化の受容のありさまを見事端的に表している。
◆令和の原典
令和の元号の原典は当初『万葉集』の梅の花の歌三十二首の序文にある『初春の令月
(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)
を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』から引用され。確認される限り
において、初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)からの選定だとされている。と報道され
たが発表の数時間後に中国では「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡
「帰田賦・文選巻十五)」が原典と中国側から指摘され改めて漢学の深淵を日本人は知った。
『古事記』も『日本書紀』も『万葉集』原文は漢字で書かれている事を忘れてはならない。
◆磨針峠の原典
中山道磨針峠「 なかせんどうすりはりとうげ」の伝説は以下のようなものだ。
「道はなほ学ぶることの 難(かた)からむ 斧を針とせし人もこそあれ」
その昔、まだ修行中の弘法大師がこの峠にさしかかったとき、白髪の老婆が石で斧を磨ぐのに
出会います。聞くと、一本きりの大切な針を折ってしまったので、斧をこうして磨いて針にする
といいます。そのとき、ハッと悟った大師は、自分の修行の未熟さを恥じ、修行に励んだと言い
ます。その後、再びこの峠を訪れた大師は、明神に栃餅を供え、杉の若木を植え、この一首を詠
んだと伝えます。この後、峠は「摺針峠(磨針峠)」と呼ばれるようになりました。とある。
さてさて「道はなほ学ぶることの 難(かた)からむ 斧を針とせし人もこそあれ」の名言には
日本人ならだれでも感銘する名言であろう苦労難行を乗り越えた己の研鑚に努めた人こそ大成
すると言う。学業や向学心や研究者には一種の求道を感じさせる文言である。
ところがこの磨針峠伝説の名文にも中国の原典が介在しているのだ。
◆磨針峠伝説の原典は中国の『方輿勝覧』五三「磨針渓」です。
磨斧作針
読み方 まふさくしん
意味 惜しまずに努力し続ければ、困難なことでも必ず成就することのたとえ。
学問に挫折した若い頃の李白が帰郷するか悩んでいると、鉄の斧を磨いている老女を見かけた。
何をしているのか尋ねると「鉄の斧を磨いて針を作っている」と答えた。
老女の行動から努力・根気の強さを学んだ李白は学問に励むようになったという故事から。
↓長谷川博美「本人」↓