山形 鶴ケ岡城 ビイスタの輝き
◆ウイキペデイア山形県鶴ケ岡城
別名 | 大宝寺城、大梵寺城 |
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城郭構造 | 輪郭式平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 大泉氏(武藤氏) |
築城年 | 鎌倉時代初期 |
主な改修者 | 直江兼続、最上義光、酒井忠勝 |
主な城主 | 武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏 |
廃城年 | 1871年 |
遺構 | 土塁、石垣、堀 藩校、庭園 |
◆反論者
このような享保期の城郭測量法は
江戸軍学であり架空の絵空事に過
ず学問として決して認められない。
◆長谷川
まがりなりにも江戸の学問
軍学です。上図がインチキ
ならば上田城のWビイスタ
▼信濃上田城ビイスタ工法
◆長谷川
工法なども皆否定しなけれ
ばなりません。学問は最初
から一蹴する尊大高慢なる
精神ではなく検証する謙虚
慎重さこそが学問の本質と
私は考えております軽蔑や
侮蔑や排他の精神からは真
の学問は成立は致しません。
江戸城本丸と西の丸測量が
Wビイスタで出来ている事
など日本の城郭測量文化を
無視する事は学問とは言え
ないと私は思います。
▼常陸 小坂城 Wビイスタ
◆質問者
長谷川先生山形県鶴ケ岡城
には城郭ビイスタ工法存在
したのでしようか?私個人
は日本の城の平面構造自体
が何故不整合な歪な形状な
のか強い疑問符を持ちます。
◆長谷川
鶴ケ岡城1番と2番の放射状
測量起点を持つWビイスタ
工法と言えます。
◆長谷川
秀吉の天正大坂城 多方面から
ビイスタが存在致します。
◆一般様
すごいな!こんな城郭の学問
形態や理論があるとは驚きだ。
◆長谷川
鶴ケ岡城を更に検討すると1234の
ビイスタ線も読み取る事が可能。
◆長谷川
更に更に123456とビイスタ計測
した痕跡が鶴ケ岡城に読み取れる。
◆一般様
こんな事、昭和、平成の城郭本
には全く解説されていませんよ!
◆長谷川
令和に研究いたしましよう。
◆質問者
外郭のビイスタとは如何に?
◆長谷川
Aからビイスタが読み取れます
重複ビイスタも読み取れます。
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