城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』 2

2019-08-14 16:47:30 | 戦国
明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』 2

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服致します。小野先生の益々の御発
展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、是非
紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は◆長谷
川博美が担当しています。また当ブログでの
解説も私が担当させて頂いております。なお
順番を追って紹介しますが皆様は順次ページ
を追って御鑑賞下さい。


下記の「長比」野瀬山砦とも言う。『嶋記録』
にも登場する。とは美濃近江国境の「たけくら
べ」長比城の事で信長と浅井が対立していた元
亀年間に長比城は近江国坂田郡の鎌刃城の堀氏、
樋口氏、が、この城塞を守っていたが信長方に
誘降されている。
「鎌刃」
   鎌刃城とは堀、樋口氏の城であるから
当然当時の南坂田郡は織田領へと編入されたと
思われる。『嶋記録』には国人領主今井氏の臣
下、田辺式部丞が信長に500石で召し抱えられ
る一節あり。
「横山」
横山城とは浅井方の重要な出城で坂田郡の東西
を眼下に見下ろす戦略上重要な城で姉川合戦の
後に木下藤吉郎が城番とされた大規模な中世城
郭遺跡。
「佐和山」
 佐和山城は浅井方の磯野丹波守が姉川合戦後
に8ケ月もの籠城戦を行った水陸の要衝を扼す城。
『嶋記録』には天の川流域の今井氏方の武将が
佐和山城に籠城した様子が詳しく記されている。
   この時の佐和山城包囲織田軍団の指揮官は
丹羽長秀が担当。『信長公記』によると彦根市鳥居
本の百々屋敷「どどやしき」に丹羽長秀は陣城を設
けている。現地の陣城は「とどやま」丸山に城郭
遺構が残存している。
   


◆③画面は浅井朝倉の志賀の陣で浅井朝倉に協力
した比叡山延暦寺の荒廃の様子を劇的に小野先生
は描いておられます。実際に火災で類焼したのは
根本中堂ではなく比叡山の坂本の里坊などの近辺
ではないかとされています。比叡山焼き討ちは元
亀2年9月の事です。

◆志賀の陣とは?
志賀の陣(しがのじん)とは、元亀元年(1570年)
9月16日から12月17日にかけて発生した織田信長と
浅井長政、朝倉義景、比叡山延暦寺の戦いを言う。
浅井朝倉方は総勢3万の勢力を盛り返して比叡山に
籠城して織田信長は苦戦し「天下は朝倉殿持ち候え」
と珍しく弱き下手に出て和議を結んで織田軍の危機
を回避します、勿論信長の言う天下とは近畿を中心
とした政権の事と考えられます。武家で初期の畿内
の天下人は三好長慶と一般に言われております。

◆④織田信長の物思いにふける信長らしい南蛮甲冑
が目を引きます。この頃の信長は既に総髪ではない
でしよう。しかし小野先生の総髪の信長像が当時の
信長の荒涼とした精神世界を見事に表していると言
えます。※斬新な南蛮具足にマントを羽織った織田
信長像がなんとも異形な信長ワールドを感じさせて
くれる画像。

◆元亀年号の出典拠の謎?
『毛詩』の「憬彼淮夷、来献其琛、元亀象歯犬賂南
金」と『文選』の「元亀水処、潜竜蟠於沮沢、応鳴
鼓而興雨」から。勧進者は式部大輔高辻長雅。とさ
れる。しかし韓半島には『元亀作封』と呼ばれる
言葉もあり今後も研究が必要であろう。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明智 羽柴 丹羽 柴田 織... | トップ | 明智 羽柴 丹羽 柴田 織... »
最新の画像もっと見る

戦国」カテゴリの最新記事