安土城 ビイスタ(見栄え)論の意義
◆質問者
ビイスタを解明する意義は?
◆長谷川
放射状測量痕跡を読み取る
事で当時の城を見る視点を
読取る事が可能です。
◆質問者
六角の観音寺城城下町石寺と
安土城の城下町は設計的には
類似していますか?
◆長谷川
観音寺城の城下は石寺とよばれる
城下集落ですが上図の如く中山道
に面して多数の放射腺ビイスタが
読み取れます。佐々木六角は石寺
に楽市を開設して城下経営の経済
基盤を計画経営していました信長
は新たに中山道を通る商人を規制
してまで安土居その城下を新たに
形成致しました。安土城は下街道
と呼ばれた未整備の街道でしたが
織田信長はこれを改修し下街道を
京畿への道また佐和山城岐阜城へ
のロジステックな物流経路として
経営していきます。安土から美濃
に戻るには山崎に御茶屋を建てて
休憩所としています。近江山崎山
は宇曽が麓を流れ当時の佐和山城
は芹川が松原内湖に流れ込む水陸
の交通の要所であった事を留意を
すべきです。安土城は常楽寺港や
豊浦港とも密接にリンクした信長
の近江支配の新規城郭であつた事
は述べるまでもありません。従っ
て下街道側に安土城の武家屋敷群
の放射状測量痕跡ビイスタ工法の
測量の痕を見出す事は重要な事!
◆対談者
織田信長の安土城の東大手方面の
視座の中心が下街道にまで及んで
いる事が最重要だと思ってます。
下街道安土城下の楽市に集められ
た商人達は信長の安土城天主閣の
威容を全国の人々のもとへと自然
伝達しますから織田信長天下布武
のスロガーンやプロパガンダとは
自然と日本全国にその風聞が届く
事になると思われます。宣伝塔ね。
◆長谷川
未だ全国平定を成し遂げていない
段階の安土城に東北の伊達輝宗等
が信長に献上品を次々と献上して
くる様は『信長公記』に詳らかで
す。安土城の宣伝塔の役目は既に
効果を奏していた事になる訳です。
◆質問者
安土城を見物出来るヒエラルヒー
階層とはどの様な社会階層ですか?
◆長谷川
天正10年正月には安土城を一般
公開していますが下街道を旅す
る人、城下に住む武家、信長に
近く使える側近武士の安土城の
みえ方は其々違っていた事です。
◆長谷川 一段階
下街道を行く旅人にはこの距離
や角度から安土城の見栄え考慮
している。これは長目「眺め」
だと思います。長距離測量法。
◆長谷川 ニ段階
次のビイスタが伝秀吉邸近辺
からのビイスタ眺望ですよね
これは大手門内に入城出来た
階層が見た安土城のビイスタ。
◆長谷川 第三段階
信長の神体を祀った総見寺
や本城部も含めたビイスタ
◆長谷川 第4段階
安土城を身近に見る人々
の為の設計測量ビイスタ
◆質問者
長谷川先生と個人的に城に
行きますと笑顔や冗談全く
ないと思うのですが?
◆長谷川
私は城の縄張や設計について
城址に行くと深く悩んでます。
◆対談者
それが本物の研究家の姿勢ね!
城は本来行楽や観光の場では
なかった後世になり観光地や
憩いの場所としての立ち位置
を与えられた現代価値観です。
◆長谷川
城に行く人は普通5W1H
で物事を処理しています。
私の場合さこにDデザイン
Pプラニング「縄張設計」
が入力されているから城
に行くと急に顔面蒼白に
なるんですよ。城が恐い。
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