◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ動画の
再生回数が3000回を超えています。
◆質問者
『島記録』読んでいます。多賀
豊後守が「やつお」や勝楽寺に
に居たと記録されてます多賀町
の八尾山の城とはビイスタ工法
が施されている城なのですか?
豊後守系と出雲守系の多賀氏は
有名ですが新左衛門の持城のひ
とつの城だったのでしょうか?
◆ウイッキペデイアより引用
多賀 高忠(たが たかただ)は、
の一派・多賀豊後守家当主で
、名所司代として知られる。
(むねもと)。号は大源(たいげん)
◆長谷川
この城は標高616mの高所に存在
する山城、危険な難所で一般者の
見学には向いてません。私が滋賀
県中世城郭分布調査報告で発見し
報告した城で城郭遺跡なのです。
◆質問者
では城郭見学の基本に則した解説
を立体イラストで初心者にも解る
ように各部位を概略解説下さい!
◆長谷川
概略、この様な立体構造を持つ
典型的な中世山城と言えます。
◆対談者
うわあ、もう多角天守閣や小櫓や
虎口も備えたモダンな多賀の山。
◆質問者
近年近世的な価値観と秩序の改革
を成し遂げたのが安土城建設した
織田信長だと言われますが安土城
のビイスタ論をも考え合わせると
どうも信長と言う人は家臣の丹羽
長秀を築城奉行に任命して時代を
草創する新城郭を創始した革新的
な人物ではなく中世から続く制度
や政策を文化継承して中世山城の
集大成として安土城の姿があると
思います。信長古典踏襲型の武人
▼安土城 ビイスタ工法
◆長谷川
◆長谷川
貴方が八尾山城図を見て思われる事
は中世の城なのにもう多角的天守の
様な多角壇や小天守の如き楼閣基壇
虎口なども含めて八尾山城をモダン
な中世城郭と感じられたのでしよう
確かにこの土の城の八尾山城に石垣
を貼り付けたらモダン近世城郭に近
い形状になりますまた多賀氏が京洛
で活躍し、小笠原流の弓術等も会得
した文化人、多賀新左衛門「京流」
の高度な築城術も感じさせる優れた
城郭遺跡かと言えるかもしれません。
◆質問者
要するに滋賀県犬上郡多賀町八尾山
城にはビイスタ工法が存在します?
◆長谷川
見事に細密なビイスタ工法の痕跡を
読取れる事が可能流石は多賀豊後守
名将に名城は常に付き物と言えます。
◆みんな
今回もビイスタ論決まってますね!
◆長谷川
無駄なきスマートなビイスタ工法
が着実に施工されていて驚きです。
▼多賀 八尾山城 ビイスタ工法1
▼多賀 八尾山城 ビイスタ工法2
◆長谷川
この様な山城ビイスタは蒲生家
の宗家の蒲生氏の鎌掛城にも存在
し中世山城のビイスタ研究が重要
◆長谷川
八尾山城の縄張は様々なビイスタ技巧
を応用して築城されたものでしよう。
◆長谷川
この様な縄張の様式は多賀豊後守
の主君京極政経が入城した文献が
残る米原市の弥高山城にも同類の
縄張が読み取れると考えています。
多賀の八尾山の土塁も米原弥高城
の土塁の作り方も類似しています。
▼玄番尾城の特徴的縄張
▼彦根城の特徴的縄張
▼佐和山城 城下出土の「チギリ符丁」
◆長谷川
弥高城も八尾山の城も城郭として
の同じDNAや姉妹関係や親族関係
にある山城である事は誰でも解る
これは比較研究論と言われる手法
▼弥高城 米原市 ▼八尾山城 多賀町
◆佐々木六角支持者
我々が誇る佐々木六角の牙城は
まとまりのない群郭式の城郭と
城郭研究家には酷評される事が
あった訳ですが、どうしてどう
て観音寺城下石寺では日本で一番
最初の楽市楽座制度が確立された
土地では佐々木観音寺城はWビイ
スタ工法を取り入れてまとまりの
ある山岳都市景観が調えられてい
たと私も観音寺城を再評価してる。
◆長谷川
佐々木六角は近江鯰江城に長期籠城
して信長に抗戦しますが今は既に無
き城で蒲生郡誌では巨大なビイスタ
工法が読取れ殿屋敷もビイスタ工
法を採用していた事が読取ります。
▼鯰江城 大ビイスタ工法
▼鯰江城 中小ビイスタ工法
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