城郭 長谷川博美 基本記録

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山東町の赤尾の殿さん

2021-04-18 20:27:12 | 民俗学
山東町の赤尾の殿さん
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赤尾氏は小谷城赤尾屋敷や伊香郡赤尾
城に割拠した武将で、長浜市赤尾には
平地城館や山上の山城の▼土塁も残る。
赤尾氏
 『続山東町昔ばなし』には以下の
伝説が記録されている。名族赤尾氏
は一級文献資料『信長公記』に登場
する名族である。この本にも赤尾氏
▼が登場している。
さて一般に坂田郡長岡郷の赤尾氏は
湖北で聞きなれない事であるが私は
この赤尾氏追善供養墓碑と思われる
ものを現地に現地見学する事なった。



『信長公記』天正元年の記録
八月廿七日、夜中に、羽柴筑前守、
京極つぶらへ取り上り、浅井下野・
同備前父子の間を取り切り、先ず、
下野が居城を乗つ取り候。爰にて、
浅井福寿庵、腹を仕り侯。さる程に、
年来目を懸げられ候鶴松大夫と申し
侯て、舞をよく仕り侯者にて侯。
下野を介錯し、さて其の後、鶴松
大夫も追腹仕り、名与是非なき次第
なり。羽柴筑前守、下野が頸を取り、
虎後前山へ罷り上り、御目に懸けら
れ侯。翌日、又、信長、京極つぶら
へ御あがり侯て、浅井備前・赤生美作
生害させ、浅井父子の頸京都へ上せ
、是れ又、獄門に懸けさせられ、又、
浅井備前が十歳の嫡男御座侯を、尋ね
出だし、関ケ原と云ふ所に張付に懸け
させられ、年来の御無念を散ぜられ訖
んぬ。爰にて、江北浅井が跡一職進退
に、羽柴筑前守秀吉へ、御朱印を以て
下され、悉く面目の至なり。
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1 コメント

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Unknown (長谷川博美)
2019-11-24 08:01:20
伝承に興味のある人
の貴重な、いいねに!
に感謝を申し上げます。
なぜなら私の古城発見
は伝承から出発して現地
遺跡を測量するしその城
に行く事ですから最も私に
とり基本的行動と言えます。
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