城郭 長谷川博美 基本記録

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安土城と観音寺城をセットで考える優れた達観!

2020-08-23 02:59:45 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
安土城と観音寺城をセットで考える優れた達観!

対談者
 昔から織田信長は安土城単体だけではなくて、
隣接する巨大石垣城郭。観音寺城も含めた景観
を考想していたと言われています。長谷川先生
は如何に思いますか!

長谷川
 あなたの着眼点は優れていると思います、何故
ならば信長は己の天下布武の為の政庁として如何
に?演出し天下を治めるかをを考えていたと思い
ます。信長は盂蘭盆会を安土城で開催しています。
民家の夜の照明を全て強制的に消し安土城をライト
アップさせる行為は『信長公記』に記録されてます。
如何様に安土城の扇形縄張り理論を展開してもさあ
実際に夜間に安土の盂蘭盆会の提灯の配列を一体?
どこから見物したら夜の安土絶景の夜景が見物出来
るのでしょうか?そうです!安土城で興業した安土
盂蘭盆会の提灯照明をより雄大にパロラマミックに
展望する為には安土城の東に存在している桑実寺や
観音寺城から壮大舌語の安土城の夜景が絶景として
臨まれるビューポイトと展望地点となっていいる事
を考させられます。

対談者
安土城と観音寺城をセットで考えていた信長の証拠とは?

長谷川
『信長公記』には安土城のなかに「江雲寺御殿」を見物
したと記録されています。江雲寺殿とは本来は佐々木六角
中興の英傑である六角定頼の事で本来は彼の為に作られた
 定頼の号が「江雲寺殿」なのです。ですから信長は少な
くとも室町の昔に畿内管領代であった佐々木六角定頼をも
含めた安土城、観音寺城、一セット構想が存在した思う!
つまり安土城をパノラマの様に展望する為にはその展望の
場所として観音寺城を見落す事は出来ないと私は考える!
安土城を天下の政庁としてパノラマのようなビスタ工法で
日本中にPRし喧伝する事が肝要で覇道を歩む織田信長の
着想です安土城をいかに天下の覇城、政治府キヤピトルと
して演出する事が要点と言いますか天下に城しめす。天下
統治の為に見せる要素の城が安土城パノラマ展望やビスタ
工法であったと私は考えております。「しろしめす」=統治
長谷川
 安土城の前身は目加田山であり観音寺
城の弓の練習場の地名が「あづち」です。
★織田信長の楽市楽座の原型は六角定頼
が創始したもの、そのような意味で定頼
は信長に先行に優れた優れた武人政治家!

六角定頼時代生誕死没別名諡号
戦国時代
明応4年(1495年)
天文21年1月2日(1552年1月21日)
吉侍者、四郎(通称)
江雲

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