8/12(木)
おはようございます。
台風4号があっという間に通り過ぎましたが被害はありませんでしたか?
水が欲しかった農家にとってみれば恵みの雨だったような気がしますが、沿岸部では高潮警報が出されていて、昨夜は警戒本部に缶詰状態でした。
久しぶりに夜間勤務をしたので今朝はチョットしたい気分。
民話の中に「妖気漂う」イメージがあるため、このまま寝ちゃうと怖い夢を見てしまいそうな・・・・・。ほんの短時間、トイレにしゃがんだ時間だけ仮眠取れると違うんでしょうが、夢で「水」を見ると水難事故に遭いそうでなんだかんだと言いながら眠れない時間を今日一日過ごすことになりそうです。
今朝の湯来の民話は「お仙物語」。国原神社はうっそうと茂った森の中、木の根が岩に絡みついているのを見ていると民話の世界を超えて事実じゃなかったのかと信じ込んでしまいそうでした。妖気が憑依しそうで現地に長居をするのが怖いです。
むかし、麦谷にお仙という美しい娘がいました。気立てが優しく、控えめなお仙さんは、
「お仙さんをぜひうちの息子の嫁にいただきたい」
「水内谷のお仙さん、水内谷小町」
と騒がれましたが、お仙さんはどんな縁談も断ってきました。お仙さんは、暇さえあれば家の裏山の祠にお参りし、しばらくあたりの景色に見とれていました。
小鳥のさえずりに耳を傾けたり、野原の草花を取ったりして楽しむ、心の優しい娘さんでもありました。
ある年、不明谷の森林を奉行が視察に来ることになりました。村の人々はできるだけ奉行に接待をして、山に入って薪を取ったり用材を切るのを有利にしてもらおうと考えました。
奉行が来た当日は、川で鮎漁をお目にかけ、捕った魚で鮎料理を出しました。接待に出た娘さんの中にお仙さんも入っていました。美しいお仙さんに目を留めた奉行は
「これだけの美形の娘は、京の都にて宮仕えさせるのが村のためにもなる。左様心得よ」と、有無を言わさずつれて帰りました。
奉行は「京の宮中に仕える」と村の人々には言ったが、事実は、奉行が無理やり館に連れ帰り、側室にしようとしました。いくら迫られても言うことを聞かないお仙さんでした。お仙さんは家の裏山で眺めていた景色や、小鳥のさえずり、野辺の草花など故郷のことが忘れられず、
「帰りたい、帰りたい」
「国原の家に帰りたい。裏山に登りたい」
奉行の言うことを聞かないお仙はついに、館の裏庭で打ち首になりました。しばらくしてその屍から蛇が川伝いに国原に帰ってきました。お仙さんの故郷恋しき一念が蛇に化身したのでした。お仙の魂は怨念を抱いて迷いに迷いさまよい、岩に籠りました。その周辺は妖気が漂い、出入りする人々にもいろいろなことが起こり、村の人たちは「蛇神様」と言って恐れました。
ある人がこの藪に入り、竹の杭が突き刺さったが、抜いて竹藪に返したら、ただちに痛みもやみ傷も治ったとか、この藪の手入れをしたい家では、妻が病気になったとか、ある人が藪の笹を籠に入れて帰ったら、中に蛇が入っていました。
今では、荒れ果てた藪はすっかり整備され、杉林の中に日差しも見られる明るい場所となっています。後の人々が立派な鳥居や石段を作り、由来碑も設けました。
国原神社の裏側道上の杉林の中に直径2mくらいもある大きな苔むした岩があり、その上に直径40cmもある古木がどっかりと岩を取り巻くように太い根を張っています。その様子が、いくつもの蛇が岩を巻き包んでいるようなので、これをお仙塚、または蛇塚と呼んで語り伝えました。
お仙像の由来を刻んだ石碑には次のように書いてあります。
昔麦谷村百姓辰見屋にお仙と申す娘あり 美
女にて京に召され宮仕候処、かかる田舎なれども
故郷忘れ難くにや、ふるさとへ帰りたく
いとまを願いおれども 一向にお暇無くむな
しく相成候処、遂に不慮にて相果て申す
由、夫より娘の霊魂故郷に帰り執念
蛇に化身し、この岩に籠もれりと伝えられる
村人今に至るも此の岩をお仙神として祭る
右は
松平少将源吉長様 御世 御代官 藤川冶左ヱ門殿
杉田 新兵衛殿
寛延三年庚午四月二十三日
この碑文は、昭和53年1月に奉納されています。
次回は「獅子の落とし穴に落ちた熊」です。お楽しみに。