咲いていました。
オオイヌノフグリやヒメオドリコソウなどを別として、毎年、暖かい春の訪れを教えてくれるシュンランが一輪だけですが、花を開いていたのです。
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咲いている位置条件が悪くて、横からしか撮れなかったのですが、開いた緑のがくから舌のように白い花弁をたらしていました。この株はおそらく毎年早咲き。1月には花茎を伸ばしていたので、いつ咲くか、いつ咲くかと待ち望んでいました。
今朝8時頃の玄関先の気温は10度。だいぶ暖かい朝でした。この暖かさに誘われたのだと思います。
そして付近ではシジュウカラやヤマガラの群れがいて、近づいていくと次々飛び立っていく。10羽程度いたでしょうか。
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木に止まっているのはヤマガラ。何かを食べています。そういえばどこからか、コッ、コッ、コッとドラミングが聞こえていました。見上げてもどこにいるか分かりませんでしたが、コゲラが近くで餌を探していたようです。
自宅の窓から見える梅の枝が揺れました。何かが来てる。見ていると、ヒヨドリが花をついばんでいます。気配に気づいたのか、花の陰に隠れていきました。
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東日本大震災の発災が今月11日、間もなく丸5年が過ぎようとしています。これを記念するいわき市追悼の祈りと復興の誓いが、午後2時44分からいわきアリオスで開かれ、出席してきました。思い起こせば、昨年はこの式が開かれる当日の朝、犬の散歩をしていて道路から落下。背中を痛め、出席できませんでした。最近、確定したのですが、背中側の肋骨を骨折していたんですね。とても痛くて、痛くて、出席は無理な状況でした。
あれからもう1年。午後2時46分には会場で犠牲者に1分間の黙祷を捧げ、全市的には同時刻にサイレンの吹鳴がされたものと思います。
清水市長の「惨状の記憶を後世に伝えていかなければならない」という式辞の後、犠牲者の遺族を代表した薄磯地区の方が追悼の辞をおくりました。
「3月11日が近づくと、忘れたくとも忘れられない、あの日の光景がよみがえります」と語り始め、津波に巻き込まれた子ども二人は幸いにも助かり、両親が犠牲になったことなど被害の状況を紹介しながら、「薄磯地区は陸の孤島になったことが犠牲を増やした」とし、同地区から陸側にまっすぐ抜けていくことができる避難路が完成して、安心して安全に暮らすことができるようになった時に初めて復興したと言えると訴えながら追悼していました。
被災地のみなさんは、やはりいろいろな思いを持ちながら、地域の復興の歩みを見つめているとあらためて思わされました。
式後には、津波が迫るなか祖父母を避難させるために駆けつける途中、5人の避難を助け、最後に祖父母の元に向かい津波に巻き込まれ命を落とした高校生を描いた紙芝居、2人の生徒が犠牲になったことから、友達のために踊りたいと再結成され、各地で演舞している県立海星高校のチーム「じゃんがら」によるじゃんがら念仏踊りや、磐城高校、磐城桜が丘高校、いわき総合高校、いわき光洋高校の県立高校4校の合唱部による合同合唱など披露されました。若者たちの発表には、鎮魂とともに、復興への希望を感じてきました。
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そんなこんながあった一日。残りの時間は、特別委員会に関する提出文書を頭を悩ませていて、時間をつぶしてしまった。あれもこれも・・と思っていたことは結局できずじまいでした。
そして夜、NHKスペシャルが「被ばくの森」という番組を放送しました。
文書書きをしながら、テレビも聞きながら、ついでに番組で紹介した内容をツイッターでツイートしていました。その内容は以下のとおりです。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。始まった。植物に放射性物質が付着し、動物が採餌を通じて放射性物質を取り入れていることが分かった、という。その影響は・・。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。8.3μSvの汚染がある森。弘前大の研究者が、アカネズミを捕獲した。これまでに奇形など目に見える影響は確認されないという。染色体異常は、浪江町で0.1%、弘前で0.2%、これまでは統計学的な差はないという。さらに数万個を調べてみることが必要だという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。原発事故で人がいなくなった町には、アライグマなどこれまでいなかった動物が侵入して、無人の家屋で繁殖している。イノシシも無人の町を歩き回る。除染作業員などが近くにいても怖れる気配もなく、我が物顔にのし歩く。野生生物の生活圏になってしまっているという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。チェルノブイリ。森から動物が姿を消した。今なお200μSvに達するような地域がある。はっきりした異常が見えるのはアカマツ(?)で汚染のない地域で6%の発生率、線量が増えると異常も増えるという。ツバメの尾羽にも長さの不揃いあり、精子の異常は8倍も高いという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。浪江町で外国の研究者が、野鳥の会などと連携し調査をしている。尾羽に異常のある個体が見つかったという。死んだツバメを測ると内蔵に放射性物質が溜まっていた。虫を食べて汚染されたと考えられるという。アカマツにも線量が高い地域ほど異常が増える傾向があるという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。汚染地域のサル。駆除されたサルの太ももの筋肉で、放射性セシウムは13,000ベクレル/Kgだったという。骨髄を調べたサルは、筋肉中のセシウムが多いほど、赤血球を作る細胞が少ない。しかし、データが少なく因果関係は不明だという。
Nスペ「被ばくの森」。片付けに帰宅するたび、自宅に動物が侵入し荒らしているという。あれを見ると、ここに住めるのだろうかと思う。そして番組最後の画像で、帰還困難区域のゲートのすぐ向こうの道路を狐が横切り、次の瞬間手前をキジが横切り、そしてすぐイノシシが横切った。こんなに・・と驚き。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。この番組はあくまで汚染が強い地域で、野の物を採餌する動物等の影響のこと。それも調査途上にある。人間が食べているものは、測定して線量を確認し、基準に達しないものを食べているので、単純に当てはめて考えることはできないということに注意が必要だと思った。
このツイートを引用して、「こうやってアカが被曝デマや恐怖の吹聴に利用しだすだろが!」なんて、番組批判に利用したアカウントがあったので、ツイート全体の主旨を捻じ曲げて攻撃するやり口はいやだなと思って、こんな返信をしました。
「一連のツイートの最後に書いたのが私の番組を見ての感想です。ただ事実は事実としておさえながら、現状を認識し、対応していくことは必要だと思います。そこに安心も生まれてくるでしょう。帰還困難区域でのモミの木の異常などについては放医研の講演会でも聞いたばかりです。」
これに再度、「貴方方は利用すると思ってましたよ」との返事。これでは話は噛みあうことはない。そう思って「レッテル貼りですか。それではお話しを続けても無意味ですね。」とツイッターを通してのお話しはおしまいにしましたが、こういう放射性物質の拡散による影響を探求することに対して、「デマ」や「恐怖の吹聴」だとかレッテルを貼って叩き潰そうとする姿勢は、逆に風評被害を生み出すような気がしてしょうがない。
政府や原発事故を起こした当事者の東電が公表する情報を信頼しない向きがあるのは、彼らが原発政策をすすめるために都合の良い情報だけを出してきたと不信感を持たれているからだと思います。
現実に事故がおきて放射性物質が拡散されたもとで、「臭いものにフタ」をしてしまえば、そこには不安と不信しか生まれない。放射性物質をむやみに恐れず、一方ではむやみに安全視しない。そのためは放射性物質の知識を深め、汚染の現実を姿を知ることが大切で、こうしたことの積み重ねの上に、風評被害の克服という果実は実るのではないだろうか、そんなふうに思います。
オオイヌノフグリやヒメオドリコソウなどを別として、毎年、暖かい春の訪れを教えてくれるシュンランが一輪だけですが、花を開いていたのです。
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咲いている位置条件が悪くて、横からしか撮れなかったのですが、開いた緑のがくから舌のように白い花弁をたらしていました。この株はおそらく毎年早咲き。1月には花茎を伸ばしていたので、いつ咲くか、いつ咲くかと待ち望んでいました。
今朝8時頃の玄関先の気温は10度。だいぶ暖かい朝でした。この暖かさに誘われたのだと思います。
そして付近ではシジュウカラやヤマガラの群れがいて、近づいていくと次々飛び立っていく。10羽程度いたでしょうか。
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木に止まっているのはヤマガラ。何かを食べています。そういえばどこからか、コッ、コッ、コッとドラミングが聞こえていました。見上げてもどこにいるか分かりませんでしたが、コゲラが近くで餌を探していたようです。
自宅の窓から見える梅の枝が揺れました。何かが来てる。見ていると、ヒヨドリが花をついばんでいます。気配に気づいたのか、花の陰に隠れていきました。
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東日本大震災の発災が今月11日、間もなく丸5年が過ぎようとしています。これを記念するいわき市追悼の祈りと復興の誓いが、午後2時44分からいわきアリオスで開かれ、出席してきました。思い起こせば、昨年はこの式が開かれる当日の朝、犬の散歩をしていて道路から落下。背中を痛め、出席できませんでした。最近、確定したのですが、背中側の肋骨を骨折していたんですね。とても痛くて、痛くて、出席は無理な状況でした。
あれからもう1年。午後2時46分には会場で犠牲者に1分間の黙祷を捧げ、全市的には同時刻にサイレンの吹鳴がされたものと思います。
清水市長の「惨状の記憶を後世に伝えていかなければならない」という式辞の後、犠牲者の遺族を代表した薄磯地区の方が追悼の辞をおくりました。
「3月11日が近づくと、忘れたくとも忘れられない、あの日の光景がよみがえります」と語り始め、津波に巻き込まれた子ども二人は幸いにも助かり、両親が犠牲になったことなど被害の状況を紹介しながら、「薄磯地区は陸の孤島になったことが犠牲を増やした」とし、同地区から陸側にまっすぐ抜けていくことができる避難路が完成して、安心して安全に暮らすことができるようになった時に初めて復興したと言えると訴えながら追悼していました。
被災地のみなさんは、やはりいろいろな思いを持ちながら、地域の復興の歩みを見つめているとあらためて思わされました。
式後には、津波が迫るなか祖父母を避難させるために駆けつける途中、5人の避難を助け、最後に祖父母の元に向かい津波に巻き込まれ命を落とした高校生を描いた紙芝居、2人の生徒が犠牲になったことから、友達のために踊りたいと再結成され、各地で演舞している県立海星高校のチーム「じゃんがら」によるじゃんがら念仏踊りや、磐城高校、磐城桜が丘高校、いわき総合高校、いわき光洋高校の県立高校4校の合唱部による合同合唱など披露されました。若者たちの発表には、鎮魂とともに、復興への希望を感じてきました。
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そんなこんながあった一日。残りの時間は、特別委員会に関する提出文書を頭を悩ませていて、時間をつぶしてしまった。あれもこれも・・と思っていたことは結局できずじまいでした。
そして夜、NHKスペシャルが「被ばくの森」という番組を放送しました。
文書書きをしながら、テレビも聞きながら、ついでに番組で紹介した内容をツイッターでツイートしていました。その内容は以下のとおりです。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。始まった。植物に放射性物質が付着し、動物が採餌を通じて放射性物質を取り入れていることが分かった、という。その影響は・・。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。8.3μSvの汚染がある森。弘前大の研究者が、アカネズミを捕獲した。これまでに奇形など目に見える影響は確認されないという。染色体異常は、浪江町で0.1%、弘前で0.2%、これまでは統計学的な差はないという。さらに数万個を調べてみることが必要だという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。原発事故で人がいなくなった町には、アライグマなどこれまでいなかった動物が侵入して、無人の家屋で繁殖している。イノシシも無人の町を歩き回る。除染作業員などが近くにいても怖れる気配もなく、我が物顔にのし歩く。野生生物の生活圏になってしまっているという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。チェルノブイリ。森から動物が姿を消した。今なお200μSvに達するような地域がある。はっきりした異常が見えるのはアカマツ(?)で汚染のない地域で6%の発生率、線量が増えると異常も増えるという。ツバメの尾羽にも長さの不揃いあり、精子の異常は8倍も高いという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。浪江町で外国の研究者が、野鳥の会などと連携し調査をしている。尾羽に異常のある個体が見つかったという。死んだツバメを測ると内蔵に放射性物質が溜まっていた。虫を食べて汚染されたと考えられるという。アカマツにも線量が高い地域ほど異常が増える傾向があるという。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。汚染地域のサル。駆除されたサルの太ももの筋肉で、放射性セシウムは13,000ベクレル/Kgだったという。骨髄を調べたサルは、筋肉中のセシウムが多いほど、赤血球を作る細胞が少ない。しかし、データが少なく因果関係は不明だという。
Nスペ「被ばくの森」。片付けに帰宅するたび、自宅に動物が侵入し荒らしているという。あれを見ると、ここに住めるのだろうかと思う。そして番組最後の画像で、帰還困難区域のゲートのすぐ向こうの道路を狐が横切り、次の瞬間手前をキジが横切り、そしてすぐイノシシが横切った。こんなに・・と驚き。
伊藤浩之 @itou6011 Nスペ「被ばくの森」。この番組はあくまで汚染が強い地域で、野の物を採餌する動物等の影響のこと。それも調査途上にある。人間が食べているものは、測定して線量を確認し、基準に達しないものを食べているので、単純に当てはめて考えることはできないということに注意が必要だと思った。
このツイートを引用して、「こうやってアカが被曝デマや恐怖の吹聴に利用しだすだろが!」なんて、番組批判に利用したアカウントがあったので、ツイート全体の主旨を捻じ曲げて攻撃するやり口はいやだなと思って、こんな返信をしました。
「一連のツイートの最後に書いたのが私の番組を見ての感想です。ただ事実は事実としておさえながら、現状を認識し、対応していくことは必要だと思います。そこに安心も生まれてくるでしょう。帰還困難区域でのモミの木の異常などについては放医研の講演会でも聞いたばかりです。」
これに再度、「貴方方は利用すると思ってましたよ」との返事。これでは話は噛みあうことはない。そう思って「レッテル貼りですか。それではお話しを続けても無意味ですね。」とツイッターを通してのお話しはおしまいにしましたが、こういう放射性物質の拡散による影響を探求することに対して、「デマ」や「恐怖の吹聴」だとかレッテルを貼って叩き潰そうとする姿勢は、逆に風評被害を生み出すような気がしてしょうがない。
政府や原発事故を起こした当事者の東電が公表する情報を信頼しない向きがあるのは、彼らが原発政策をすすめるために都合の良い情報だけを出してきたと不信感を持たれているからだと思います。
現実に事故がおきて放射性物質が拡散されたもとで、「臭いものにフタ」をしてしまえば、そこには不安と不信しか生まれない。放射性物質をむやみに恐れず、一方ではむやみに安全視しない。そのためは放射性物質の知識を深め、汚染の現実を姿を知ることが大切で、こうしたことの積み重ねの上に、風評被害の克服という果実は実るのではないだろうか、そんなふうに思います。
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