伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

震災・原発事故被災地をめぐる

2013年12月24日 | 災害
 2年前にいわき市に救援ボランティアに来てくれた兵庫県の方が来市し、「その後の情報があまり入らない」ということで、23日に車で付き添い震災と原発事故被災地をめぐりました。

 いわき市北部清掃センターでは、持って行き場のない放射性物質を含んだ飛灰の保管状況を見た後、広野町、楢葉町、富岡町と北上。国直轄の除染作業が盛んに行われていた楢葉町では、数カ月前に黒いフレコンバックが積み上げられていた除染廃棄物の仮置き場で、フレコンバックが緑のシートで覆われ、搬入が終了している状況を確認できました。

 どこまで線量が低下したかは別として、面的には除染作業が着実に進行していることは確認できました。また、広野以北の常磐線も、一面を覆っていたセイタカアワダチソウが刈り取られ、線路の下に敷かれるバラスト(石)が入れ替えられていました。

 この常磐線の延伸も、原発被災地の地域指定の変更と連動したものと思われます。楢葉町の避難解除とともに常磐線も同町まで延伸して、住民の足を確保する。逆に考えれば公共の足を確保したのだから「早期に帰還せよ」と、避難者に対する圧力になりかねない。先だっての、早期に帰還すれば上限90万円の賠償金の上乗せの方針と同じく、避難者分断策になりかねないと、不安が残る話です。

 この後、久之浜、薄磯、豊間と津波被災地をめぐりましたが、いち早く復興区画整理事業が起工した久之浜では、撤去された住宅の基礎が積まれ、着実に事業がすすんでいることを思わせました。

 薄磯でも一部で区画整理事業が着手されていましたが、花が添えられている住宅の基礎も見かけました。ここで亡くなった家族・親族を悼んで、現場に供養の思いを残しているのでしょう。2年10ヶ月が過ぎても遺族の心の傷はまだ癒えていないことを感じます。こうした追悼の心を踏みつけにしない、復興事業の展開が何よりも求められることをつくづく感じました。


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