伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

県内原発再稼働への首相の思いと東電の事故への反省度合いは

2013年04月03日 | 原発
 この間、報道を見て気にかかることがありました。
 一つは、3月24日に福島第一原子力発電所を視察した安倍首相が、郡山市で記者団に原発の再稼働問題について言及し、「定例んで安定的な電力供給がないと復興は難しい。総合的に判断する」と述べたことは3月28日のブログに書き、自分なりの考えを、日本共産党市議団の「議員だより」にまとめました。

 この発言に続き30日に安倍首相は第一原発5号機、6号機、第2原発の1から4号機について、原子力規制委員会が策定する安全基準を満たしても再稼働は困難とする見方を国会答弁したことが報道されました。日本共産党の井上哲士氏に参院予算委員会で答えたものでしたが、ちょうど議員だよりの発行日前日の報道だったので、あの時まとめた考えは的外れだったのか、と少し動揺しました。でも報道された国会答弁を見ると妥当だったと思い直しました。

 首相発言を報道から拾うとこうです。
 「仮に安全性が確認できたとしても、実際に稼働させるためには、現実には立地自治体など関係者の理解が必要になる」「現在の福島県の皆さまの心情を考えると、再稼働は容易ではない」

 稼働が困難という見方の前提は「福島県の皆さまの心情」です。つまり「福島県の皆さまの心情」いかんでは、この見方は変更されるということです。東京電力が廃炉にすることを明確にしているのは、第一原発の4つの原子炉だけです。後の原子炉については廃炉とする考えを表明しないばかりか、噂されているのは再稼働を前提に修繕をすすめているという内容です。

 こうした状況で廃炉を求める声が小さくなったり、「風評被害」の克服に逆行するなどと、原発被害の実情の情報発信を抑えたりするようなことになれば、東電や国が県内原発の再稼働させる口実になりかねません。東電の事故責任をしっかり問うことも含めて、被害の実情と最終処分の方法が決まらないなどの原発政策の問題点も広く語っていかなければならないと改めて思いました。

 同時に30日付には、東電が事故の原因に関する最終報告書をまとめたことが報道されました。

 この報告書は、東電のホームページに掲載されており、プレスリリース欄の「第三回原子力改革監視委員会資料の配布について」の中にと「福島原子力事故の総括および原子力安全改革プラン」しいう題名で置いてありました。

 このプランの中には「今回の事故の原因を天災として片づけてはならず、人智を尽くした事前の備えによって防ぐべき事故を防げなかった」という注目すべき総括が含まれました。これまで東電は、「事故の原因は人災ではないか」と問われると、事故をおこした結果責任をいうだけで、言を左右にして「人災」と認めることはありませんでした。ところが今回、「天災として片付けてはならず」としたことは、言外に「人災」を認めたことになります。気にかかるのは、それならなぜ「人災」と言わないのだろうかということです。

 プランを見ると天災と片付けられない理由としてこのように指摘しています。
「設計段階か地震や津波による故障への配慮が足りず全電源喪失という過酷な状況を招いた。」 
「運転開始後も米国のテロ対策など海外の安全性強化策や運転経験の情報を収集・分析する努力が足りず、事故への備えが設備面、人的面で不十分だった。」
東電が「天災」と片付けられない理由を、配慮不足、努力不足で片付けようとしているのです。

 しかし問題はそこにはとどまりません。たとえば日本共産党の吉井英勝氏は2006年3月1日の衆院予算委員会第7分科会で、「(押し波が高ければ)水没に近い状態で原発の機械室の機能が損なわれ」「(引き波が大きければ)原発の冷却機能が失われる」と、津波による冷却機能喪失を指摘し、水素爆発も含むあらゆる対応策をとるよう求めていたのです。原発の問題を指摘してきた住民運動も同様の問題を指摘してきました。

 こうした指摘に対して東京電力が耳を傾け、きちんと対応してきたのかどうか。こここそが問われなければならないと思うのです。放射性物質を扱う施設であってはならないこととは思いますが、百歩ゆずって考えれば、初期の段階に誤ることもあるでしょう、また諸外国の事例を見逃すこともあるでしょう。しかし、問題点を指摘されてそれを無視した(聞き流した)となれば事情は異なります。人の話に耳を傾けることがない偏狭な心の持ち主か、安全神話に染まりきって人の話を省みることができない体質にあることを示すと考えるからです。

 今回のプランが、この問題に踏み込んで総括をしていなかったことは明らかです。それが意図的だったのか、それとも未だにこうした指摘を把握できていないのか。いずれにしても十分かつ真摯な反省とは程遠いと言えるように思います。

 プランには「事故の根本原因分析から、事故の背後要因として『安全意識』、『技術力』、『対話力』の不足という問題があり、原子力部門には『安全は 既に確立されたものと思い込み、稼働率などを重要な経営課題と認識した結果、事故の備えが不足した』ことがあったと判断した」とする立場からの記述があります。であればこそ、外部から指摘された、津波による電源喪失の危険性の指摘に対してどのように対応してきたかが問われます。指摘された問題を受け止めて検討し対応に至ることができなかったことを考えれば加えて「受止め力」も不足しているといえるでしょう。

 こうして考えると、「天災と片付けてはならない」とした東電の反省は、真剣に反省した内容であるのかが問われています。私には以上のことから真剣な反省にいたっておらず、従前の立場から微動程度しかしていないように感じます。原発の事故を言葉の上からも人災と認め、その立場から真摯な対応策を練り上げる。このことを東電に求めたいと思います。

            ◆

 原発事故から3度めの春。カワヅザクラがきれいに咲いていました。

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