伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

水俣のたたかいに学びました

2014年04月28日 | 原発
 さて昨日27日の夕陽。ちょうど自宅に帰りがけ、西の空に薄く雲がかかり、もしかして彩雲も期待できるかもと、沈む夕陽を追いかけて湯ノ岳を登ってみました。彩雲は出現しなかったものの、夕陽はなかなかの情景。得した気分です。



 遡ること午後1時30分、「元の生活をかえせ・原発事故被害いわき市民訴訟原告団」が主催する第3回学習会「水俣郊外運動の歩み~確信を持って運動を進めるために」がいわき市社会福祉センターで開かれ、講演を聞いてきました。講師は水俣病闘争支援熊本県連絡会議事務局長の原田敏郎さんでした。

 1月に委員会で水俣を視察(まとめは=http://blog.goo.ne.jp/hiroyuki19601121/d/20140203)しましたが、その内容を補完的に深めることが期待されました。実際、得るものがありました。

 原田さんは水俣病の発症からの歴史と裁判をたたかった運動を振り返って講演しました。
そして、2009年に施行された「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」について、①対象とする地域を限定した線引、②被害の判定は県が独占、③救済基準が非公表、④申請主義、の問題があるとしました。また、水俣と福島の類似点として、①原発もチッソも国策である、②情報隠しがあった、③被害が矮小化される、④地域と年代に線引がされる、⑤風評被害が起こる――を上げました。本当にそのとおりだと思います。

 水俣ではこれらの問題があることから、①公正な第三者である裁判所による判定、②正当な補償、③恒久的な補償制度の確立、を求めて運動をすすめているといいます。



 講演の中で驚いたのは、水俣に対する差別と偏見がいまだに根深くあるということ。

 水俣市の中学生がサッカーの試合で接触プレーになった際、県内他市の生徒から「水俣病、触るな」と差別的な発言を浴びせられた事例があったというお話で、新聞報道もされています。昨年のことです。原発事故後の福島でも差別と偏見による被害が県民にふりかかっています。こうしたことの責任を国や東電は、どうとるのかも問われているように思います。

 また行政との関係の話もありました。先の「まとめ」では、1994年に当選した水俣市長が、水俣病患者に初めて公式に謝罪し、「もやい直し」という患者と市民の融和をはかる取り組みがすすめられていると書きました。具体的な事業として明確だったのは、資料館の建設・運営や市主催の集会等で水俣病患者が話す機会を設け、被害の実像について理解を深めあうということだけは伝わったのですが、それ以外は具体的に把握できませんでした。

 講演で原田さんは、行政との協力を重視しなければならないとして、水俣市の山間部の地域の例を紹介しました。その地域の行政が、当初は水俣病検診などのビラの配布に協力、後には原稿を提出すれば行政の回覧物に実施日などを記載し、紹介してくれるようになったというお話をされていました。

 この行政の関わりという点ではその他にも変化が大きく現れているらしく、公民館やコミュニティーセンターを会場にして検診を実施することなどは昔ならば全く考えられなかったことが、今では当たり前に行われるようになっているそうです。会場を貸さないということが信じられない話ではありますが、少なくとも行政が反省して水俣病患者団体などに対して対応を変えていることが、具体的な姿になって見えているように思います。

 いわき市の場合、市も、また議会も、原子力エネルギーに頼らない社会の構築をめざすことなどを明確にしています。一方、県内の原発はゼロとすべき立場は明確なものの、原発政策全般に関しては態度や意見を表明しないという考えです。こうした中で市の積極的な面をさらに伸ばすという面から考えても、市民的な運動と行政との関わりをどう構築するのか、ということなども課題になってくるように感じました。


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