▲数年、咲き続けるナデシコはエラい
トタン屋根のスズメとパン
昭和49年の春、熊本の高校を卒業して都内の美術系予備校に通うために、女子大の4年生だった姉と千葉県の市川市で1年間同居した。翌年の春に姉が卒業して熊本に帰ってからの一人暮らし程ではなかったが、住み慣れた故郷や家族と離れて暮らすことは、正直寂しかった。
日曜日に、私達の木造アパートの2階の窓をあけ、窓辺に置いていた小さな卓袱台で一人遅い朝食を食べていると(姉は早朝から何処かへ出かけていたらしい)、窓のすぐ下にあるひさしのトタンの上にスズメが数羽降りて来て鳴き始めた。ふと思いつきで、ひとかけらの食パンをそっとひさしの上に投げた。当然、スズメは驚いて飛び立ってしまった。が、すぐに舞い戻った。そして数羽でパンのひとかけらをめぐって何やら鳴き交わしながら、パンの奪い合いを始めた。その騒ぎを聞きつけたのか、次々にスズメが舞い降りて来て大騒動になった。
私が食べていたなら一口、そして数秒で飲み込んでしまうパンのひとかけらをたくさんのスズメ達が鳴き交わし奪い合う様子に、いっとき寂しさを忘れて見入ってしまった。狭いトタン屋根の劇場で繰り広げられる劇の観客になったようだった。その後も味をしめて、私はトタン屋根のスズメ劇を観劇した。
故郷を離れて暮らし始めて、いろんなことで故郷との違いを感じたが、スズメに関しても、都会と田舎の違いを感じた。熊本のスズメは、かなり離れていても人の姿が視界に入った途端に飛んで行ってしまう。ところが東京のスズメは、道沿いの家の塀の上にとまっているスズメのすぐ横を私が歩いてもすぐに逃げない。こちらが知らぬふりをしていると、2メートル程の至近距離であってもそのまま塀の上に留まっていることさえある。これには「えっ」と驚いた。
近年はスズメの評価が変わり、稲などを食べる害鳥から稲などの農作物に被害を与える虫を駆除してくれる益鳥となっているが、当時スズメは害鳥とされ、農業と関係の無い動物好きの私でさえ、それだけで何だかスズメをにくたらしく思っていたし、子ども達は脅かして追ったり、石を投げたりした(害鳥、益鳥という区別も人間の利己的な区別で鳥には全く罪はないのだが‥‥)。一方、代表的な益鳥であるツバメに対しては、子どもながらに常に感謝の気持ちを抱いていたし、大人も家の軒を貸してヘビなどから守ってくれていた。さらにスズメに対しては、空気銃やかすみ網でスズメを捕獲し、焼き鳥にして食べることも行われていたのだ。従ってスズメの方も、人間を恐れる習慣が深くしみ込んでいたものと思われる。そんな熊本のスズメに対し、都会では、スズメを嫌う農家が少なく、また忙しそうな都会の人達がスズメの相手をする暇がないので、スズメの方も人に対する警戒心が薄れてきていたのかもしれない。
東京よりスズメと人間の関係がさらによい関係なのが、ヨーロッパで出会ったスズメ達だ。若い頃、パリに2年間住んでいたが、休日はポケットにパンを忍ばせて公園に行き、ベンチに座ってスズメと遊んだ。人に対する警戒心が薄く、私がパンを持っていると知ると、たくさんのスズメが肩や手に舞い降りてくるのだ。やや模様の違う種類もいたが、日本と同じ茶色い帽子のスズメが初対面の私の掌でパンをついばむことは、不思議な感じと同時にやはり異邦人としての寂しさを紛らしてくれる小さな楽しみだった。
それから30年以上が過ぎても、熊本のスズメ達は人間への警戒心が薄れずに人との距離間は変わらない。きっと熊本のスズメにはDNAレベルで人への警戒が深く刻まれているのだろう。いつか熊本のスズメも掌に乗ってくれる日がくるのだろうか。
数日前の報道で、愛鳥週間に関係したものだろうが、ツバメが巣をかけたら壊さないで見守ってほしいとの呼びかけが行われていた。近年はツバメが巣をかけると糞が落ちて迷惑と巣を作りにきたツバメを追い払う人が増えているそうだ。そんなことも一因となってツバメの数が急激に減ってきているとのこと。若い人にはスズメが害鳥と言われていたことやツバメが益鳥という認識も無くなっているのかもしれない。
(2013.5.14)
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