雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

マグロが車を運転する

2013年05月21日 | エッセイ

▲新緑と青い海と空。天草上島のオレンジロードから見た雲仙。

 マグロが車を運転する

 私は高校時代、3段変速機付きの自転車で通学した。信号無視こそしなかったが可能な限りスピードを出し、約5キロの距離を信号待ちなども含めて片道20分で走った。朝早く登校していたので、もともとそんなに急ぐ必要は無く、ただ所用時間の新記録を作りたい一心だった。
 この「1秒でも早く目的地に着くことをよし」とする気持ちは、長じて車の運転をするようになってからも変わらなかった。スピードオーバーや信号無視、一旦停止無視などの交通違反やマナー違反はしないものの、可能な限りは急ぎ、その結果急発進や急ブレーキの多い乱暴運転になった。いや正直に言うと、スピードも常に速度規制を10キロ上回る速度で走っているし、規制以下のノロノロ運転をする前の車に幅寄せやパッシングの意地悪をしていたこともある。
 亡くなった父は、日常のあらゆることに対してせっかちだった。私が運転する車に同乗するときは必ず助手席に座ったが、居眠りしている以外の時は、前を走る車がノロいとか、狭い道をすれ違う際に道を譲ったこちらに礼をしないとか、ウインカーを出さないなど、周囲の車の運転をいちいち非難した。また前方の赤信号や黄信号にも反応し、特に青信号から黄信号に変わった時点で停車すると、必ず舌打ちをするかため息をついて悔やんでいた。
 実は恥ずかしながら若い頃というか、ついちょっと前の私も車の運転中は父と同様の悪態をつき通しだった。運転中に見る周りの車や自転車や歩行者の交通規則違反やマナー違反をきびしく指摘するのである。
 自転車に対し、「こらあ、1列で走らんかい」「自転車は左側通行だろ」「夜はライトを点けんかい」。歩行者に対し、「歩行者信号は赤だろ」「しゃべりながらダラダラ歩かんで、横断歩道はさっさと渡らんかい」。
 私の兄弟とその子ども達が集まった席で車の運転の話しになり、甥っ子、姪っ子達が「ウチのお母さんも車の運転中は人が変わったみたいに周りの車に大声で怒鳴りっぱなしだ」と言い出した。私達兄弟はそれぞれの子ども達から、普段どちらかというと控えめで静かな人柄が、車の運転中は一変することを指摘されたのだ。「車を運転中の性格が本来のあなたです」みたいな標語があったが、血は争えぬものだ。父親の運転中の性格を兄弟皆引き継いでいたのだ。
 その上に私の場合、一刻も早く目的地に着くことを目指していたから、信号停止でイライラし、道の先が渋滞しているとわかると脇道にハンドルを切り、一時でも停まることを避けた。そんな私の運転は、家族から眠るときも泳ぎ続けないと死んでしまうマグロに喩えられた。
 ところが、若い頃は黙って同乗していた家人が、夫婦間の力関係の変化から、私の運転に対してクレームを言うようになった。急発進、急ブレーキ、悪態をつきながらの運転を禁止され、止めないなら私の運転する車に乗らないと宣言されてしまった。
 「自分も赤信号でうっかり交差点に突っ込むこともあるじゃない」「信号が青に変わったのを気がつかない時もあるでしょ」「他人に対してはきびしくて、自分には甘く、自分が同じことをしても『ゴメン、ゴメン』と言うだけ」「周りの車の中で『バカ』とか『免許持っとるか』と悪態をつかれているかもよ」
 そう指摘された。その通り。反論が出来ない。考えたら、いつもは優良運転をしている人が、たまたまうっかりウインカーを出すことを忘れたのかもしれない。とても急ぐ理由があって生まれて初めて信号無視をしたのかもしれない。こんなふうに腹を立てる前に相手のことを少し考えると怒ることも少ない。
 最近は、エコドライブのことも考えて、急発進、急ブレーキの無い、やさしい運転を心がけている。その前に目的地に早く着きたいという願望も少なくなった。どんなに急いでも所用時間はそれ程違わない。急ぐことで起きる事故のリスクやイライラも考えて、ゆっくり走る選択をした。
 渋滞は嫌だし、信号には引っかからない方がラッキーだと思うし、60キロ制限の道を60キロ越さないで走るプリウスに腹が立つこともあるけれど。
(2013.5.21)

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