吾妻町の守山城址に寄った後、県道58号線を車で走っていた。
ある場所を探していたのだが結局見つからず、代わって表紙写真の解説板を見つけた。
「西原(にしばる)遺跡」とな?
どー見ても野っ原だが。
「東西500m、南北500m、標高250~300mのなだらかな斜面に広がる縄文時代の生活遺跡です。
当遺跡では第二次世界大戦後の開拓時に縄文時代早期(約7000年前)から縄文時代晩期(約2500年前)の土器や石器が多量に採集されている。
近接する東原遺跡や桑田遺跡、百花台遺跡(国見町)と、立地条件や出土土器の時期など共通点が多く、各遺跡には交流関係があったと考えられる。
瑞穂町教育委員会」
縄文時代、島原半島が栄えていたことが伺えます。
ある場所を探していたのだが結局見つからず、代わって表紙写真の解説板を見つけた。
「西原(にしばる)遺跡」とな?
どー見ても野っ原だが。
「東西500m、南北500m、標高250~300mのなだらかな斜面に広がる縄文時代の生活遺跡です。
当遺跡では第二次世界大戦後の開拓時に縄文時代早期(約7000年前)から縄文時代晩期(約2500年前)の土器や石器が多量に採集されている。
近接する東原遺跡や桑田遺跡、百花台遺跡(国見町)と、立地条件や出土土器の時期など共通点が多く、各遺跡には交流関係があったと考えられる。
瑞穂町教育委員会」
縄文時代、島原半島が栄えていたことが伺えます。