島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

流死人供養塔(大原)

2012-03-12 13:29:26 | 歴史・史跡
寒の戻りと言いますが、戻りすぎじゃありません?
今朝の垂木台地の気温は2度、真冬並みの寒さですよ。
そらー平成新山の山頂部に霧氷(岩ぼうろ)もつきますよ。
気温と風は冬ですが、日差しは暖かく春を感じさせます。
まゆやまロードのフサアカシアが咲き始め、アオモジも下の方では開花が始まっています。
垂木台地への道にはアセビの花も見えました。
それはそれとして、

ボラ供養塔から海岸に沿って歩いて移動すること数分、島原市指定有形文化財(建造物)「流死人供養塔(大原)」です。
寛政四年(1792年)に「島原大変・肥後迷惑」と呼ばれる地変が起きました。
島原のシンボルとも言える眉山(天狗山)の東側半分が崩れ、岩石が雨のように城下町に降り落ち、ほとんどを埋めてしまいました。
有明海になだれ落ちた岩石や土砂は大小様々な島をつくり大津波を引き起こしました。
津波は対岸の熊本を襲いつつ、反射して島原に返ってきました。
熊本は津波で約6000人、島原は土砂崩れと津波で約9000人の方が亡くなりました。
「大野浜・湯江浜の海岸には津波による溺死者が数多く漂着し、その霊を弔うために広瀬氏によって流死人供養塔(大原)が建てられました。」

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