島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

深江町(井手口)のキリシタン墓碑

2019-01-05 12:53:48 | 歴史・史跡
深江町内を歩き回っていると、住宅街の外れ(というほど外れてもいない、近くにはJA島原雲仙深江支店もある)に墓地を見つけた。
興味本位で近寄ってみると見覚えのある看板が見えてきた。(表紙写真)
へぇ〜、ここは深江町のキリシタン墓碑だったのか。
「キリシタン墓碑は、1549年のキリスト教伝来から迫害の強まった十七世紀前半にかけての西洋式墳墓で、県下では島原半島が最も多く残り、百三十基が確認されている。
 深江町のキリシタンについては、深江城主安富氏が、深江を去った天正十二年(1584年)以降盛んになったと思われる。(※沖田畷の戦い;安富氏が寝返って味方した龍造寺軍が敗走した。)
 当井手口墓地では、昭和十一年(1936年)五月、寺田猛氏が調査した結果、八基(現在中学校に一基)を発見した。
 この墓碑はいずれも安山岩の地元の石(平型六基、平庵型二基)で建てられ、本来伏碑であるべきだが、立碑として地元の人に祀られたり、中には放置されていたのもある。それで保存のため集め整備したものである。
 県下のキリシタン墓碑の中、全石文でひらがなが初めて用いられ、漢字の草書も非常に珍しい。又年代の確認できるものが十三基中三基、銘が確認出来るもの十一基中三基、特に埋葬人の洗礼名・氏名・死亡月日の名が刻まれているのは、文化財として貴重な墓碑である。」(昭和六十三年三月建立 深江町教育委員会)
一部文字がかすれ消えかかっているが以上のような文章だ。
合併前の町の時代には文化財に指定されていたようだが、今では国・県はおろか、市の指定文化財からも外れているらしい。
市町村合併の際に文化財枠から落選したのだろう。
世界遺産登録で脚光を浴びる一方、こうして日陰に堕ちて行く史跡を見るのは非常に残念なものだ。
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