高千穂神社から移動してきました。
お次は「槵觸(くしふる)神社」です。(・・・?キーボードで「くしふる」の平仮名入力が出来ない?何故だ?※「く・し・ふ・る」と一字ずつ入力している。)
「天孫ニニギノミコトの天降りとして古事記に『筑紫の日向の高千穂の久士布流多氣(くしふるたけ)に天降りまさしめき』とあり、日本書紀の一書にも『日向の高千穂の槵觸峯に致します』と記されています。」
「住古は峯そのものを御神体としてお祀りしていました。」
“元禄元年(1688年)に延岡藩主 有馬清純が社殿建築を許可しましたが、清純候は元禄五年に越前糸魚川へ転封となり、着手にいたらず、次の藩主 三浦壱岐守明治敬の時、十社宮(高千穂神社)大宮司田尻乗信の願いにより、元禄七年(1694年)6月15日に造営遷宮されています。”
「ニニギノミコトをはじめ、降臨に随行された神々や国譲りで活躍された神々がお祀りされています。」
ここに至る前に立ち寄った観光協会で、「槵觸神社周辺の神話史跡散策案内図」を手に入れています。
お昼前に周辺一帯を散策します。
お次は「槵觸(くしふる)神社」です。(・・・?キーボードで「くしふる」の平仮名入力が出来ない?何故だ?※「く・し・ふ・る」と一字ずつ入力している。)
「天孫ニニギノミコトの天降りとして古事記に『筑紫の日向の高千穂の久士布流多氣(くしふるたけ)に天降りまさしめき』とあり、日本書紀の一書にも『日向の高千穂の槵觸峯に致します』と記されています。」
「住古は峯そのものを御神体としてお祀りしていました。」
“元禄元年(1688年)に延岡藩主 有馬清純が社殿建築を許可しましたが、清純候は元禄五年に越前糸魚川へ転封となり、着手にいたらず、次の藩主 三浦壱岐守明治敬の時、十社宮(高千穂神社)大宮司田尻乗信の願いにより、元禄七年(1694年)6月15日に造営遷宮されています。”
「ニニギノミコトをはじめ、降臨に随行された神々や国譲りで活躍された神々がお祀りされています。」
ここに至る前に立ち寄った観光協会で、「槵觸神社周辺の神話史跡散策案内図」を手に入れています。
お昼前に周辺一帯を散策します。