島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

旧道(小地獄-札の原)

2018-12-17 12:47:15 | 雲仙
加護稲荷神社を過ぎて、そろそろ小地獄の集落が見えて来る辺りで分かれ道があります。(表紙写真)
写真は小地獄側から温泉街方向を向いて撮影しています。
右の上り坂へ進めば雲仙温泉街に着きます。
では左の道へ進めば?
札の原へ通じる旧道になります。
(すみません、肝心の道の写真を撮影していませんでした。)
現在は道幅も広い国道57号線を殆どの人・車は通りますが、57号線が出来る前はこちらが幹線道路でした。
昔、長崎から小浜に渡り、雲仙を目指して登って来る人々は、札の原から小地獄を経由して温泉街に入ってきていたそうです。

そうこうしているうちに57号線と合流しました。
使用している写真は9月に下見に行った時に撮影したものですが、先日観察会前の最後の下見に行った時は色々な植物の実を観察することが出来ました。

国道57号線の小浜から雲仙にむけて撮影しました。
左の主要幹線が57号線、右に反れて行くのが小地獄へ繋がる旧道です。
そういえば下見の時に札の原在住の知り合いが、小地獄温泉に入って帰って来る時に遭遇しました。
地元の人達には小地獄へぬける近道として現在も利用されています。w
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加護稲荷神社

2018-12-16 14:38:27 | 寺社・仏閣
雨になりました。
今日は12月観察会「雲仙裏道散歩〜札の原〜」(街歩きイベント)の予定でしたが、雨天のため中止しました。
この企画自体は来年に持ち越すとして、このままネタを12ヶ月も眠らせるのは勿体ない。
そこで来年の練習って事で、この場で発表しちゃいましょう!
まずは「加護稲荷神社」を訪問する予定でした。
場所は雲仙温泉街の中でも新湯地区から小地獄へ向う道途中です。(表紙写真)
新湯から小地獄へは、九州自然歩道と車道の2本 道があるのですが、車道の方を歩きます。
普段の観察会なら迷わず自然歩道を選ぶので、うちではあまり通らない道です。
実はこの稲荷神社、謂れがよく分かりません。
歴史に詳しい上司に尋ねましたが、「それほど古いものではない」との返答しか頂けず。
逆に古くないので郷土史にも記載されていません。
周囲にある建物はほとんど宮﨑旅館の従業員さんの寮や住まいです。
鳥居にも宮﨑旅館の代表者のお名前が書かれています。
宮﨑旅館さんに関わるもので間違いはないのですが、どういった経緯のものかまでは調べられませんでした。

ちなみに車道沿いの鳥居から中に入ると、本殿(上写真)があります。
お稲荷さんらしくキツネの石像が飾られています。
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市村英作頌徳碑(後編)

2018-12-15 11:56:38 | 人物
愛野図書館に着きましたが、一度は探した事のある資料ばかりで目新しいものが見つかりません。
これは聞くしかないな。
ところがそこから話が二転三転、地元の郷土史に詳しい方が来てくれる事になりました。
ああ〜そこまでは・・・寒い中ご足労頂き申し訳ない。
そうしてお話を伺い、「市村英作」氏について知る事が出来ました。
おおまかに説明すると、「戦後復興に全力で取り組み、愛野展望台に天皇の御巡幸を賜った」人物です。
確かに愛野展望台に「天皇陛下御展望の地」ってあったな。(2012年1月29日記事「愛野展望台」
しかも愛野図書館(雲仙市役所愛野総合支所2階)からほど近い場所に「市村英作頌徳碑」があるそうです。
もちろん撮影に行ってきました。(表紙写真)
見覚えがある方もいるのではないでしょうか。
そう諌早から愛野町に入る入口の“愛のシンボルゲート”と並んで設置してあるものです!
何気に目にしている風景の中に関連しているものがあったとは、灯台下暗しとはこの事ですね。

しかし、やっぱり石碑に記してある碑文は読めなくなっています。
こちらの碑文に関しては、「増補改訂版 愛野町郷土誌」に記載さています。
全文を書き写すとこれまた長くなるので、簡単にかいつまんで書きますと、
「昭和四十三年二月吉日 市村干拓創設記念
 戦後の深刻な食料不足を緩和する農地の造成と、既成湿田の乾燥と塩害・高潮被害から免れる為に市村町長は昭和二十五年、議会の協力を得て、農林省へ干拓新設の補助陳情交渉を何度も重ねた。
 昭和二十七年許可の直前、農林省が経済効果不足のため許可せず、申請を却下するとの通達があった時も、町長は怯まず即時護岸補強事業に変更して再陳情を強行し、予算二千五百万円を勝ち取った。
 干拓は完成したが、その間の町長の心身の労苦を知る人は少なく、これを筆舌に尽くす事も至難なり。町長の偉大なる功績を讃え頌徳碑を建立して永久に後世に伝えるものです。
 市村氏は本年七十九歳(頌徳碑が建立された昭和四十三年時点)の高齢を保ち医師を本業として五十五年仁術を尽くし今尚矍鑠たるものあり」
やはり銅像としてまで後世に残さなければならない人ってのは偉業を成し遂げているものなんですね。
しかも知らない人が増えて行く世の中でもこうして記録に残っていくのは素晴らしい!
私もなにか人から銅像を作ってもらえるような偉業をやってみたいなぁ〜。w
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市村英作銅像(前編)

2018-12-14 12:51:27 | 人物
多良見町から雲仙に帰って来る時にひょんな事から見つけました。
愛野展望台の道向かい、山本美術館が建っている側の国道沿いに銅像が立っていました。
近寄ってみると「初代愛野町々長 市村英作」氏の銅像だという事が分かったのですが、手前にある石碑の碑文がまったく読めません。
普通碑文って、掘った文字に白とか金色で着色してあるものですが、掘っただけで色が付いていないんですよ。
光の加減も相まって、目視できません。
指でなぞって読む方法も考えましたが、二十〜三十文字ならいざ知らず、何百文字あるねん!?
ですが、銅像が誰かって事は分かりました。
しかも愛野町の初代町長ですから、何かしらの記録は残っているでしょう。
雲仙に帰ってきてから、後日資料を調べてみる事にしました。
ところが、13代愛野村の最後の村長であり、愛野町の初代町長であること以外がさっぱり分かりません。
まさか、たったそれだけの事で人は銅像を作ったりしません、よね?
ネット検索もかけましたが、ヒットなし!
姓名判断で「凶」と出ました。
仕方ないので『地元のことは地元に聞け』、昨日愛野図書館まで行ってきました!(明日へ続く)
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鹿神社

2018-12-12 13:06:03 | 寺社・仏閣
寺社・仏閣巡りをしています。w
琴の尾岳から離れて、のぞみ公園の近く、舟津地区にやってきました。
漁港に車を置かせてもらって、周辺を散策していると立派な神社を見つけました。
神額には「鹿神社」と書いてあります。
ところが本殿近くの神額には「金比羅宮」と。

?どういう事だろう?
とりあえず謂れなんか分かりませんので、図書館へ行って調べてみました。
多良見町の郷土誌に「鹿神社」の記載はあったのですが・・・。
『志賀(鹿)神社』
「この神社は舟津の丘の突端にあるが、今は鹿神社と書いてある。
祭神はもとは志賀大神(ワダツミ;日本神話の海の神様)、
屋船豊受大神(ヤフネトヨウケノオオカミ;食物の神様)である。
今から300年ほど前、貞享二年(1685年)二月十日吉祥日の建立である。
志賀神は漁民の祭る船上安全を守る神とされている。」(多良見町郷土誌)
元は他の場所にあったのを今の位置に移したそうだ。
と、ここまでは分かったのですが、ここから先の話が神社とはあまり関係のない話で。
なぜ「志賀」が「鹿」表記に変わったのか、なぜ二枚目の神額が「金比羅宮」なのか、その辺りには一切触れていませんでした。
おそらく近辺の郷土史に詳しい方なら分かるのでしょうが、書籍や文章として残していかなくては、いづれは消え去ってしまうのでしょうね。
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琴の尾岳烽火台跡(県指定史跡)

2018-12-11 11:09:03 | 歴史・史跡
琴の尾岳山頂、琴の尾神社や琴の尾岳公園から少し下った所に「琴の尾岳烽火台跡(県指定史跡)」はあります。
「島原の乱」後、キリシタン勢力の巨大なることを知った幕府は、鎖国体制を強めるとともに異国船の動向に警戒を強化しました。
江戸時代に外港として機能した長崎港における外国船侵入などの異変を伝達する施設として、長崎奉行に命じて烽火台を設置させました。
長崎村の斧山(現 長崎市鳴滝町烽火山)に狼火山番所と野母村の権現山に野母遠見番所がそれです。
遠見番所は、異国船の船影を見つけると「※白帆注進(しらほちゅうしん)」によって、早く長崎奉行所に知らせ、一方、長崎の狼火山番所は、異国船来航の知らせの狼煙をあげ、大村領に所属する琴の尾岳烽火台と諫早領の多良岳狼煙場とに知らせ、長崎警備の体制を取らせる事にした。
(※白帆注進;通行人や船舶の不法行為を見張る施設で、とくに江戸時代の関所・番所・港湾等の付属機関となっていた。長崎港外に設けられた遠見番所は、事前に唐船の入津を探知するためのもので、これを白帆注進といった。)
この烽火台の構造と大きさは、一辺約9.5mの方形の基壇の上に直径約3.5mの円形の竃跡があり、その周りを高さ70cm、直径7mくらいの土止めの石垣がめぐらしてあります。また、焚き口が東・西・北の三カ所に作ってあります。
構築はもっぱら安山岩の石材によるが、かなり散在して、竃跡も土砂が堆積している状態でした。

この狼煙は、平戸藩にも報知する目的があったとしています。
文化五年(1808年)イギリス船フェートン号が不法に長崎に入港してきて、オランダ商館員を捕らえ、そして長崎奉行所には、薪水・食料などを要求し、それを獲得して退去するという事件がありました。(フェートン号事件)
長崎奉行の松平康英は責任を取って切腹しています。
このイギリス船の暴挙は、ヨーロッパでの国際戦争の流れの一環でした。
当時、オランダはフランス帝国のナポレオン皇帝の支配下にあって、有名無実化していました。
これを機に幕府は海防を強化し、再編成をしなければならず、それでこの狼煙場は、十分に対応出来なかったことで廃止されました。
記録では、正保四年(1647年)ポルトガルの軍艦二隻が長崎にやってきた時と、フェートン号事件の時の二回「狼煙」を上げたとされますが、調査によると「狼煙」を上げた炭のあとは、薄く一層しか出て来なかったそうです。
琴の尾岳にはもう一カ所烽火台があるそうだが、そちらはどのような目的で設置されたものか分からず、県から史跡に指定されているのはこちらだけです。
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琴の尾神社

2018-12-10 12:36:52 | 寺社・仏閣
少し時間を巻き戻して下さい。
琴の尾岳公園を訪れた時のことです。
公園の展望台を紹介していますが、展望台はぐるりと円を描いており、その中心にこの「琴の尾神社」がありました。
この「琴の尾神社」の謂れを調べるのに苦戦しました。(苦戦の内容は後日機会があれば紹介します。)
「この神社は普賢菩薩(神体石立像)を壱岐力(現;伊木力)と佐瀬(どちらも地域名)の両方で寛政七年(1795年)三月に祭ったのが始まりで、観音寺末山胎蔵院が開眼尊師であり、その所管とされていたのが、明治になってからは熊野神社の末社で“琴の尾神社”と呼ぶようになり、祭神を天宇受売命(アメノウズメノミコト)とした。」(多良見町郷土誌)
観音寺末山胎蔵院が、どこの観音寺なのか誰なのかは分かりません。
天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、高千穂に行った時に神話を勉強しました。(2016年12月10日記事「神話の里③天岩戸神話」で紹介)
天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミを出て来させた芸能の神様です。
琴の尾山上では、年穀(たなつも)豊稔(ゆたか)守護の神として、村民に信仰されています。
入手した資料には琴の尾岳山上で放牧された牛の写真が掲載されているのですが、今では考えられないほど森林化が進んでいます。
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今季初霧氷

2018-12-08 12:38:56 | 気象
ようやく雲仙らしい寒さになりました。
昨日から冷え込み始め、今朝の気温は−2℃です!
雲仙ロープウェイさんから連絡があり、今季初霧氷を撮影してきました。
まず表紙写真は、雲仙ゴルフ場の駐車場から撮影した妙見岳です。

妙見岳の霧氷です。
長崎新聞、長崎放送(NBC)、かぼちゃTV(地元ケーブル)などマスコミも取材に来ていました。

雲仙ロープウェイ妙見駅舎より仁田峠を見下ろす。

妙見神社前の霧氷のトンネル。

妙見神社の霧氷。
この2、3年は11月下旬に初霧氷が観測されているので、1〜2週間程度遅れています。
ちなみに昨年の初霧氷は、11月24日です。

手水鉢の水も凍り付いていました。
霜柱も見つけました。
仁田峠・妙見岳では小雪もチラついています。
積雪するほどでもありませんので、ノーマルタイヤで仁田峠まで登る事ができます。
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言い訳

2018-12-05 13:08:10 | Weblog
先日、ウロウロしてきたおかげで幾つかネタはあるのですが、掲載出来る程の情報が集まっていません。
そこで月曜日の雨の降る日に遠くの図書館まで出掛けたのですが、休館日だったのです!
あれ〜?事前に確認した時は火曜日休館になってた筈なのに・・・。
その後、町を跨いで2,3軒はしご(飲み屋みたいだな)したのだが、休館もしくは資料があっても「貸出禁止」だったりで手に入れる事が出来なかった。
頼むから隣り合う町で図書館を同じ曜日に休館にするのはやめて欲しい。;;
てなわけで、明日もう一度情報集めに回るつもりだが、明日も雨なんだよな〜。
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12月の最高気温?

2018-12-04 12:43:02 | 気象
南から暖かい湿った空気が流れ込んでいるので、大気が非常に不安定になっています。
気温が異常に高く、雲仙でも今朝の気温は16℃でした。
この2,3年を振り返って見ても、12月上旬に10℃や11℃はあるものの、15℃越えたのは初めてじゃないでしょうか。
土曜日くらいから例年並みに気温も戻るそうだが、初雪が降る前に初霧氷が着きそうだ。
なお、この霧で仁田峠循環道路は今朝から通行止めになっています。
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