平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

すき間(心の間隙)の必要性

2012-06-22 09:36:45 | Weblog
最近の事件や事故の発生や犯人逮捕などの報道で感じることは警察官の地道な、いい意味での執拗な捜査等の結果だろうと思う。ご近所に元神奈川県警のオエラさんがおられ、雑談などをすることがある。今の警察官は市民を守る者自身が破廉恥などのくだらない不祥事で自らのステータスをおとしていることなど大変だと思う。警察官もコンプライアンス(職業倫理)などの関係で上司がいつも部下の行動を半ば疑うよう管理監督しているようだ。その関係で事故の表層部分しか探ることができず、大きな犯罪、或いは政治が関与する犯罪などは殆ど核心までには到達できないようだ。以前は反社会組織(やくざなどをそういう風に表現するらしい)に深く立ち入り、ギリギリ、スレスレまでつき合い、情報を得る刑事(デカ)が多かったようだ。それも最近はコンプライアンスという横文字のために、少しでも深入りすると上司からストップをかけられる場合が多いとのこと。
結局は大きな魚をとり逃がす結果になる。貴重な経験を積んでいる定年間近のデカはそんなことに嫌気がさして定年前に辞める者も多いようだ。障子や襖なども隙間がなくピッタリだったら開け閉めがきつい。いくらかの隙間が必要である。高校時代の同窓会でいつも話が出るのは、学校の行事や地区の祭りなどで同級生同士がいたずら半分でお酒を飲むことがあっても、それを感じとった先生が(半分冗談で)「明日の授業にこたえるほど飲むなよ」とかタバコを吸っている生徒をみても(半分冗談で)「吸い過ぎに気を付けろよ」なんて言っていたそうだ。私自身も18歳で自衛隊に入った当初は先輩たちが「自衛隊に入ったらもう大人だ、酒は飲め、タバコは吸え・・・」なんて言われたことを思い出す。清水、魚住まずということもある。昔の先生や先輩たちのお目こぼし、大きな心での指導等々、今のギスギスした教育や世情と比較してどっちがいいのだろうかと問われたらどう答えるだろうか。間違いなく、私はその当時の《隙間のあるアナログの時代を懐かしく、いい時代だった》と思うのである。【写真はyahooから太陽にほえろの写真を拝借】