高校生の駿たちと接していると、同世代の頃の自分とつい比較してしまう。2年生といえば、昭和42年…。
黒眼鏡の野坂昭如が「火垂るの墓」、「アメリカひじき」などで直木賞を受賞し、五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』 や大江健三郎『万延元年のフットボール』がベストセラーで飛ばしていた…なんてことより、平凡パンチと週刊プレイボーイの発売日をしっかりチェックしてた頃のことだ。買ってもらったばかりのドロップ・ハンドルのサイクリング車をピカピカにするのに余念がなかった。
テレビよりももっぱらラジオを聴き(そうオールナイトニッポン…というより深夜放送…が始まった年)、後にGSと略されるグループサウンズが勃興したまさにそんな頃だ。ジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルー・シャトー」が大ヒットしていたが、ぼくは冷淡で、ペダルを漕ぐのにぴったりな、グレン・キャンベルの「ジェントル・オン・マイ・マインド」の方がお気に入りだった。
音楽といえば、ビートルズがすでに一つのステータスだった。でも、ぼくは、アメリカのフォーク・ソングを基盤に、カントリー・ミュージックに比重をかけていた。だから、グレン・キャンベル。コカ・コーラのCMで、「スカッとさわやかコカ・コーラ」と彼がブラウン管から語りかける、遥か以前のことだ。
当時の音源がCDコレクションになって教室にある。これぞヤフオクのおかげだ。駿と一緒に聞いていると、
「これ知ってる!」
と言うことが多いのに気づいた。
何のことはない、コマーシャルで耳にしてるのだ。
「でも、何でやろ?」
当然の疑問か。バモスに「ジョージーガール」だったな。バモスって若い世代対象の車だと思う。となると、単にノスタルージーをクスグルなんてことではなさそう。
「つまりCM制作の決定権を持つ世代がぼくらの年代なんかじゃないかな…。だから最適な曲を幅広い選択肢から抽出できるのでは。」
もっともCMの現場にはオヤジはとっくに排除されてるだろうから、何とも言えない。で、駿にはこう答えることにした。
「いい音楽には昔も今もないんじゃない?」