「あっ、夢だ」
と気づくばかりか、限度はあるのだが、その夢に脚色を加えようとするし、また流れを自分の好む方向へと操ることができるのだ。したがって、寝起きが楽しみだし、布団のなかでリプレイを楽しめるので、朝の気分は快い。毎日上機嫌なのはそういう理由からかも知れない。思えば変なワザだ。
先日、深夜の洋画劇場だったか、フェリーニの「インテルビスタ」をやっていた。フェデリコ・フェリーニは好きな監督のひとり。現実と幻想の見境がつかない独特の世界観があり、彼しか創造できないその世界に思う存分翻弄されるのが、役者であり、観客なのだ。イタリア系だからか、手のひらでころころと弄ばされる感覚がたまらなく快い。根っこにあるユーモアと気どらない生身の感情表現が素晴らしいのだ。とにかくあったかい。「道」でワンワンなかされた高校生は、それ以後、難解で厄介に思えた時期を過ぎ、ようやく彼の世界と対峙できるようになってきた。
で、「インテルビスタ」だ。有名なチネチッタ撮影所を舞台に、新作撮影中のフェリーニの様子や、日本のテレビ局のクルーの取材中、若き日の彼自身が役者を通して思い出を語るシーンなど、見所が多く、彼のファンならたまらなくなるはずだ。助監督やカメラマンなど本人の役で本音を語っているし、もちろんフェリーニ自身も登場する。圧巻は、「甘い生活」で共演したフェデリコ・フェリーニとアニタ・エクバーグが老いた姿そのままで現れる。アニタ・エクバーグはあの噴水の泉でジャブジャブほたえるシーンでぼくを虜にした。もちろん、当時の映像をバックに太って見る影もないアニタのショットは不気味な対比を見せるが、温かいし、美しい。こんなことが許されるところが大監督なのだろう。
ここでぼくの特技に戻る。夢のことだ。そもそもの始まりはフェリーニにあると思えてならない。もちろん不遜な言い様なのだが、たかが夢だ。無邪気で、ナイーブで、プリミティブなままで良いんだ、と彼に後押しされ、無意識にぼくがつくり出したぼくだけの世界。フェリーニに出逢えたのは幸せだった。
「道」、「カビリアの夜」、「甘い生活」、「8 1/2」といったフェリーニの作品群は、その映像美もさりながら、ニーノ・ロータの音楽も忘れてはなるまい。あいにくと我が家にはLP盤でしか残っていない。これを如何にデジタル化するかが目下の課題である。「道」のメロディが流れるだけで、涙腺がゆるむのはぼくだけではあるまい。
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