「(報酬が)?5ドルなのね」と、彼女はいった。
「哀れな、淋しいドルさ」
「とても淋しい?」
「燈台のように淋しい」
当時、志しを離れ、やむなく家業を継がなければならなかった。
顧客は主に女性。ともに働く仲間も女性で、ぽつんと孤立していた。
そのことを指して「燈台のように」と言うのではない。学生気分の抜けきらぬ世間知らずにとって、異性を相手にした商いが、ともすればうわすべりを起こしていた。何を言おうと真意が伝わらない気がして、途方に暮れていた。
むろん事情を呑み込んでいるお客様はそんなぼくを受け入れてくださり、いたわりと寛容のこころで接してくださるだけに、無性に自分が腹立たしかった。
力みもあったのだろうが、すべてにいたらなかった。
そんな折に、この台詞に触れ、突如、ひらめいた。言葉数ではない。簡潔、明瞭に、感情を言葉に託せばよいのだ。その時伝えるべき気持ちは、感謝だった。まず最初に、「ありがとうございます」が素直に言えるようになった。心と言葉の一致。肩の力が抜けた。
チャンドラーを始めとして、ハメット、ロスマクと、彼らの小説の世界は美しい言葉の宝庫だった。短いセンテンスで、適確な表現。ぼくの琴線に触れる言い回しや喩えの妙をノートに書きとめた。帳面はすぐにいっぱいになった。
心にゆとりができるようになると、言葉の分類作業に力を傾けた。感情別に表現法を分けた。次に状況別に、というふうに。書いては消し、消しては書き足した。いつしかノートは真っ黒になっていた。かったるい作業だったかもしれないが、いつしかぼくはデータベースを構築していることに気がついた。文系の、文書型のデータベースだった。
これをもっと簡単な作業にできないか。それがパソコンの出会いに繋がってくる。
商売のための、でもなく、顧客管理のための、でももちろんない。笑える話だろうと思う。それが、ぼくだ。
今、それらは手元にない。頭にすべて叩き込んだ、と言えばカッコもいいのだろうが、そうではない。パソコンの世界の日進月歩の成長とともに、記録メディアがあまりにも旧式になり、移行に躓いてしまったのだ。せめてプリントアウトしておけばよかったかとは思う。それもアフターパーティ、あとの祭りだ。
「男はタフでなければ生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」プレイバックハヤカワ・ミステリ文庫 (HM...。今、教訓が活かされていないのが、つらい。
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