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法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

御夢想湯

2007-02-01 14:26:00 | 【斑鳩の伝説】
御夢想湯(オムソウユ)は唐風呂とも言われ,法隆寺西円堂の西北土塀の外にあります。峰の薬師(西円堂)にお参りをしてこの唐風呂で体を休めたとのことです。昭和の中頃まで近在の村人達のサロンとして親しまれました。
  写真 御夢想湯の建物

法隆寺の楠

2007-01-06 10:11:00 | 【斑鳩の伝説】
法隆寺鏡池の西岸、句碑の南に朽ち果てた楠の古株があります。
この楠は,その昔,聖徳太子、蘇我馬子等と物部守屋との戦いの時、
太子は,守屋に攻められてこの楠の空洞に隠れたと言う。
今、この楠は枯死しましたが、その後植えられた楠も古木になり空洞さえ出来ています。
 写真 手前古株、後方楠の古木

白髪の老人

2006-12-07 11:46:00 | 【斑鳩の伝説】
聖徳太子が16歳のころ、法隆寺の建立を思い立ち、平群川(竜田川)の辺りで、伽藍の建設地を捜し求めていた時、白髪の老人が現れて「ここより東に斑鳩の里がある其処こそ仏法興隆の地である、我また守護人となろう。」とのお告げがありました。
この老人こそ、竜田明神の化身であったといいます。
太子は,伽藍の鎮守として立野の竜田大社から、今の竜田(神社)へ勧請されたそうです。

 写真 竜田神社

太子道

2006-11-09 11:16:00 | 【斑鳩の伝説】
聖徳太子が葦垣宮(あしがきのみや)から橘寺へ黒駒に乗って通われた道が、太子道または橘街道といわれ方位が北に向かって西に20度ふっています。
この道は,窪田ー屏風ー大網と続いています。また、横田ー前裁からのコースの他、法隆寺から西に向かい河内磯長(かわちしなが)に行くコースも太子道と言われています。

 写真 葦垣宮(成福寺)跡の石碑

業平姿見の井戸

2006-09-30 22:38:00 | 【斑鳩の伝説】
業平姿見の井戸(なりひらすがたみのいど)は、斑鳩町役場前で旧奈良街道を国道25号線が斜めに横切る南、日切り地蔵の奥にあります。
業平が恋人のいる河内高安へ通うとき、何時もこの井戸水に自分の姿を写したと言われています。
また、この井戸は弘法太師が五百番目に掘った井戸で,五百井戸(ごひゃくいど)とも言われています。現在は、蓋を開けると危ないのでカバーがかぶせてあります。

 写真 業平姿見の井戸