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斑鳩の里 観光案内Web Second 迷路の散歩 『日本の古代史発見』 へようこそ!

法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

日切地蔵

2006-09-20 14:18:00 | 【斑鳩の伝説】
この日切地蔵(ひきりじぞう)と椿地蔵、継子地蔵を法隆寺(斑鳩)の三地蔵といいます。
日切地蔵は、弘法太子の作で継子地蔵とも言われています。 むかし継子が母親にいじめられていました。『お前、あの五百井の地藏さんに飯を食べさせたらお前にも食べさせてやる』と、言われたので継子は一心不乱になって、『どうかお地蔵さまご飯を食べてください』と哀願するとお地蔵さんが口を開いてご飯をおたべになった。これを知った継母も悟り、以後は継子を実の子と同様にかわいがったそうです。                斑鳩の里には2箇所に継子地蔵がありますが、 念の為、斑鳩の女性はみんな親切な人ばかりですよ”

 写真、地蔵盆、奥に業平姿見の井戸(鉄板の蓋がしてある)

継子地蔵

2006-09-10 08:55:00 | 【斑鳩の伝説】
継子地蔵(ままこじぞう)は、斑鳩神社の北に広がる極楽寺墓地の入り口付近にあります。 (写真)
昔、このあたりに継子いじめをする母親がいました。ある時、母親が団子を作りお地蔵さんに供えました。するとカラスが来てその団子を取っていきました。しかし母親は,継子が取ったといって濡れ衣を着せていじめます。
母親が、お地蔵さんにお参りに来て帰ろうとすると髪の毛が鰐口(わにぐち)の紅白の紐に絡まり動けません。おどろいた母親は大声で助けを呼びます。この声を聞いた近くの院主が来てお経を唱えると紐は解けました。
それからの母親は,継子いじめをしなくなったとゆうことです。


 飽波宮

2006-07-21 09:29:00 | 【斑鳩の伝説】
飽波宮(あくなみのみや)
称徳天皇の行宮「飽波宮」ではないかと言われている建物跡が,
上宮遺跡公園の発掘調査で見つかりました。
この行宮は,称徳天皇(女性の天皇)が弓削道鏡の為に新築した、河内の弓削宮へ行幸される途中休憩のために宿泊されたと言われています。


黒駒と調子丸

2006-06-27 09:44:00 | 【斑鳩の伝説】
黒駒と調子丸
黒駒は、聖徳太子の愛馬で甲斐の国から献納された名馬です。
太子は、この黒駒に乗って全国を巡啓されたと言われています。
太子が亡くなり、やがて黒駒も死んだので駒塚(写真左:駒塚古墳)に
葬られました。
調子丸(調子麿)は、百済から渡来して太子の舎人になり、         黒駒の世話をしていました。
調子丸の死後、調子丸古墳(写真右)に葬られたと言われています。
 (駒塚古墳,調子丸古墳は4~5世紀の古墳)